タ イ 北 部 と ベ ト ナ ム を 巡 る 
不思議な魅力のゴールデントライアングル
タイ  6   3月15日(火)
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1.チェンラーイから路線バスでチェンセーンへ

7時30分に目が覚めた。近くで犬が吠え続けている。8時20分頃になってホテルを出た。ここチェンラーイの朝は涼しい。バスターミナルまでは徒歩で15分もかかっただろうか。
ターミナルに着くとすぐトゥクトゥクのおじさんが声をかけてきた。チェンセーンだと言うと、そうかと引き下がる。

チェンセーン行きのバスを尋ねて乗った。8時50分発なのかよく分からないが、その頃になって発車した。
バスがターミナルを出ると車掌が集金にきた。チェンセーンまでは37Bだった。お金は払ったが切符はくれない。全員のお金を集めたところで、バスが店の前に停車し車掌が出て行った。乾パンのような物を食べながら戻って乗車し、さて出発だ。それにしても全員がチェンセーンへ行くわけでもないだろうし、誰がどこまで乗るのか覚えているのだろうか。

この北方面ルートは途中まで『AH2』(アジアハイウェイ2号線)を通って行くようになっている。旅客以外に荷物の運送便も兼ねているのか、あちこちで荷物を受けたり降ろしたりする。こんな様子なのでなかなか先に進まない。
タイの幹線国道は中央分離帯にいっぱい何かかの花が植えられている。季節によって開花はどうなのか分からないが、いつも咲いているようなイメージだ。いつもどこを走ってもきれいに咲いた花がある。

山道に差し掛かった所で渋滞が始まった。検問だった。このバスは止められずに済んだ。
メーチャンでは国道から離れ市街地に入る。そこには何か所もバス停があり次々に停まっていき、その度にかなりの客が乗り込んでくる。殆どが高齢のおばさんだ。
そして再び国道へ出る。タイは道路整備がかなり進んでいる国だ。この辺りの国道1号線はゆったりした6車線道路がまっすぐに延びているのだ。

チェンセーンが近づくと突然バスが停まり車掌が道端に降りてしまった。この後乗ってきた人と降りる人はどうなるのだろうか。「マイペンライ」(気にしない)の国だからそんな細かい事は考えないでおこう。


私はチェンセーンでバスを降りた後、すぐメコン川の畔へ行ってみた。乾季で水嵩は減っているが今もとうとうと流れている。上流へ向かうボートはありったけのエンジン音を響かせる。対岸のラオスとの間には多くのボートが行き交っていた。

ゴールデントライアングル行きの青いソンテオを探した。ソンテオもバス同様に乗り場が決まっている。この大通りの後ろの方に停まっていた。そしてすぐ近くはに大きな屋根の待合所もあった。これだと日陰を探さなくても大丈夫だ。
運転手のおじさんと言えば、乗客に紛れてその中に座っていた。私の雰囲気を察して「もう少し待ってろ」と言った。
私が日本人だと分かるとスマホを取り出して、日本語の翻訳アプリを使って話しかけてくる。こんな田舎町でまさか翻訳アプリが普及しているとは驚きだ。そんなのでしばらく遊んだ。
青いソンテオは11時20分になって出発した。ゴールデントライアングルまで20Bだ。私は人数待ちだと思っていたが、ひょっとして時間がある程度決まっているのかも知れない。



2.ゴールデントライアングルはみやげ物店が並ぶ観光地だった

メコン川に沿ってきれいに整備された道をひたすら突っ走って行く。右側には力強く流れるメコン川がいつまでも見え、スローボートや小さな船が行き交っている。

ラオスやタイの山岳地で生活している人たちにとって、メコン川を行き交うボートは大切な生活の足となっている。一昨年、スローボートに乗ってチェンコーンの対岸フェーサイからルアンパバーンまで行った。その時に地元民があちこちへ、ボートに乗って移動しているのを見た。買い物に行くのも学校から帰ったりするのにも使われている。そのボートは2日間かけての旅になるのだが、私も忍耐強くなったものだと自分で感心した。ベトナムでダナンからホーチミンへバス移動しても20時間もかかったし、インドネシアのスラカルタからジャカルタまでバスの故障もあり20時間以上乗っていた。


このソンテオは観光客だけが乗っているわけでも無いので、途中の村で地元民が次々に降りていく。ゴールデントライアングルまで乗っていたのは私だけだった。おじさんは、「ここで降りるように」と金色の塔がいっぱい立っている場所で停めてくれた。実物大ほどのもある象が何頭も置かれている。この辺りはどこを覗いてもメコン川が見える。
ゴールデントライアングルと言えば、私は、三角形で3つの国名を書いた案内板、それが強いイメージで残っている。それを探しているのだがなかなか見つからない。近くの店の人に聞いてみると教えてくれたのが、白い石柱が立っている場所だ。
見覚えのあるこのパイプでできた案内板。この位置から見た、ラオスとミャンマーの国境だ。

この辺りは今では完全に観光地になってしまっている。かつてはアヘン作りのケシを栽培をしていた事で悪名高い場所だった。近寄る事さえできなかった無法地帯。そんな危険な場所なのに今は平気で立っている。
タイでも貧しい地域だったこの北部一帯、人身売買が横行していた時代もあったようだ。今は警察力もありそんな事は考えられないが、ケシの栽培も貧しさ故の事だったのだろう。


道路に沿ってみやげ物の店がたくさん並んでいる。殆どが衣類や民芸品なのだが、ミャンマー国境のイメージで、タナカやその粉末、それにペーストなども売っていた。
近くには、アヘンに関する資料を集めた『オピウム博物館』がある。私はそれほど興味がないので行かなかった。アヘン吸引具や、麻薬のボスに関する資料もあったようだ。


さて帰りのソンテオはどこで待てばいいのだろう。手で合図をすればどこででも停めてくれるのだろうが、アヘン博物館の前で待った。


3.チェンセーンの遺跡群を散策する


チェンセーンの中心地まで戻って、町の中央にある通りをメコン川と反対の方へ歩いてみた。ここが町の中心地のようで、市場や商店、銀行等がある。イミグレーションもあるが外国人がここから出国する事はできない。

一番賑わっているのは市場の辺りで、パラソルを立てた屋台が歩道の上に並んでいる。野菜は地面に、果物は台の上に置いてある。惣菜は揚げ物にガイヤーン、それにメコン川が近いから焼き魚もあった。
屋台と言っても、このお兄さんのはリヤカーのように大きな車輪が付いた販売台で、金属板で囲った魚や肉を焼くガスコンロも置いてある。厨房を兼ねた売り場になっていて、店を一軒持ってきたようだ。
低いイスに座ったおばさんが売っていたのは、ハチの巣とそれをバナナの皮で包み蒸したもの、それに筍の先の部分だ。筍は10本以上入った袋を並べている。仕入れなしで、自宅の庭から持ってきたような商品だ。


遺跡群の方へ歩いていると、小さな山のような遺跡の向こうに食堂があった。食事をして休憩だ。

この辺り一帯に広がる遺跡は、チェンセーン王国時代の寺院遺跡で、現在はパーサック歴史公園として保存されている。中心となるのがワット・パーサックで、他にも仏塔や崩れた寺院跡が点在している。

私は事前に知っていたわけではなく、バスの窓から発見しただけだった。それでも、ひっそりとした草むらを歩いていると、かつての王国時代が偲ばれる思いだ。


4.チェンセーンからチェンラーイへ戻るバス

対岸へ渡るボート乗り場をしばらく眺めていた。ボート乗り場は長い階段になっている。こんな造りはどこも同じようだが、これは便利で水位の調節ができるのだ。メコン川とて雨季と乾季ではもの凄く水位が変化する。こんな階段であれば雨季は上の方、乾季にはずっと下に移動すればいい。

大きな荷物が次々と階段に並べられていく。葉物野菜とみかん、ココナッツ、唐辛子、それにあの風呂のイスだ。野菜などラオスにもたくさんあるように思うが、どうなのだろう。
ラオスの消費財はタイからの輸入に頼っているところが多い。自国で生産できないから輸入するしかないのだが、外貨も多くないのでたくさん買うわけにもいかない。そんな事でラオスの物価はタイよりかなり高い。

いっぱい積み込んだスリムなボートは乗客も乗せてラオスへ向かって出て行った。タイとラオスの往来はこの港でも多いが、ミャンマーとは隣町のメーサイからのようで、ミャンマー側のタチレクに繋がっている。

帰りのバスは3時5分頃出発した。この路線はかなりバスの便は多い。それにバス停よりメコン川寄りにはロットゥーの乗り場もある。こちらは観光客御用達の、クッションも良くエアコンの付いた少しだけ高級な乗り物だ。私は庶民が愛用する小型の路線バスに乗る。

バスが発車し、チョッと走った所で大きな米袋を持った人が乗ってきたが、車掌がいない。そして、運転手はその車掌でも探しているのかのように、辺りをキョロキョロしながら低速で走る。それでも広い国道に出るとスピードを上げた。

バスが停まり、向い側の家から走り出て来たのはこのバスの車掌さんだ。普通は市街地、バスが出て数分で乗り込んでくるのだが、ここはもう20分も走っている。自宅に帰っていたようなのだ。マイペンライの国には何が起こるか想像もできない。

道端の路上で売っているのはパインだ。こんな農家がやっているような露店は、地域によって産品が違うから面白い。それに誰かが決めたように適当な距離をあけている。いろいろ工夫もされていて車からよく見えるにもなっている。壁のようにひな壇で積み上げてあるのだ。

メーチャンを過ぎた山間でバスは検問所に止められ、警察が車内に入り身分証のチェックが始まった。私も急いでパスポートを取り出した。タイ北部はすぐパスポートが出せるよう準備しておかなければならないのだ。


5.チェンラーイの市場へ

チェンラーイのバスターミナルで下車した後は市場の方へ歩いた。いっぱい並んだ屋内市場ではなく、私は路上の店を見ながら歩くのが好きだ。この市場はかなり大きくて周辺の町や村からの買い物客も多い。そんな事で市場の駐車場には各方面行きのソンテオが待機している。ただこの時間になるとさすがに地元民の客だけになっているようだ。

かなり太目でお腹の出た仏像の所まで行ってから引き返すのだが、この辺りでは地面にビニールシートを敷いて並べている人もいる。タマリンドが山積みされている。東南アジアでは酸味はタマリンドを使う。スイカの店では半分や1/4にカットされたものもあり、私はビニール袋に入ったものを買った。
スイカを食べながらぶらぶら歩き、バナナも買った。小さく美味しいバナナが何と1房20Bと安い。
小魚はタイ独特の丸いせいろに入れて売っていて、3匹くらい入っているようだ。グァバにチョンプー、緑のマンゴーも並ぶ。アボカドは3倍くらいの大きさだ。

時計塔近くにある惣菜屋の食堂に入った。なるべく辛くないようなおかずを選んだ。この店も冷たい水を出してくれる。このぶっかけ飯はとても美味しい。タイ北部地域でもイサーンと比べればこちらは穏やかな味かも知れない。
食事も済んでぶらぶら歩いてホテルに帰った。


明日はメーサローンに行こうと思っていたが、ちょっと疲れたのとメーサローンだと朝早く出かけるようなので、あさって行く事にした。





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チェンセーンに着いたらすぐメコン川の畔へと急ぐ。対岸のラオスとの往来は盛んだ。乾季で水嵩が少なく乗り場は階段のかなり下になっている。


ゴールデントライアングルへのソンテオは、日差しを避けてここで待つ。運転手も同じだ。



このブルーのソンテオがゴールデントライアングル行き。出発時刻もあるようだが、人数が集まらないと出てくれない。


チェンセーンの中心街を走る主要道。イミグレーションもありラオスとの交易の町でもある。



メコン川の対岸ラオスとはボートが引っ切り無しに往来している。遠く黄金に輝く仏塔が見える。



ゴールデントライアングルはタイ側から見れば、メコン川を挟んで右側対岸がラオス、左側がミャンマーになる。


パーサック歴史公園の横を通る道。乾季の今は砂埃でも立ちそうだ。



チェンセーンの町外れでは、広範囲に点在する遺跡群が見られる。



メコン川を往来するスローボート。川沿い住民の足として重要だ。船主はこの中で生活できるようになっている。私は2日間この船に乗って移動した。


チェンラーイ市場横にある小さい方の時計塔。今は17時27分なのだが時計はお昼だ。



チェンラーイ市場横の露店街。生鮮食品が殆どだが惣菜類も多い。



チェンラーイでは何度も通う惣菜屋。中は食堂にもなっている。歩道側からおかずを選んで注文する。