犬飼 農村舞台で人形浄瑠璃公演を観る |
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阿波人形浄瑠璃・傾城阿波の鳴門 |
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徳島県には農村舞台が209棟残っており、これは全国一だそうで、その殆どが人形芝居のためのものらしい。人形浄瑠璃舞台の96%が徳島に存在すると言う事だ。人形芝居の発祥地は淡路で阿波藩の庇護のもと栄えた。 徳島市八多町の犬飼農村舞台で阿波人形浄瑠璃の公演があり観劇した。 平成22年11月3日11時開演 |
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秋には農村舞台で公演が行われるのを知っていた。今年こそは必ず観ようと思っていたので調べておいた。徳島県には農村舞台はたくさんある。時々TV等で案内があったりもする。 ![]() それに昨年、韓国へ原風景を求めて旅をして以来、日本でも懐かしい風景に出会うのを楽しみにしている。 八多町は、徳島市の中心部より南へ車で30分ほどの所で、ちょっと山間に入った果樹園が広がる農村地帯だ。 県道から右の八多町の方へ入って行くと徐々に道幅が狭くなり、迷路のように難しくなった。地図は頭に入れてあったが、こんなに道が何本もあり曲がりくねっていたら、どう進んで行けばいいのか分からない。 ![]() やっと犬飼農村舞台の案内板を見つけた。近くの駐車場はもういっぱいだと、駐在所のお巡りさんが、交差点で車を迂回させていた。 舞台のある神社の下では、テントで特設販売をやっていた。 地元の人達が持ち寄った農産物やら弁当それに飲み物などがあった。私も弁当が必要だ。パックに入った寿司とPET飲料を買った。 神社への急な石段を登って、農村舞台を目指し歩いた。開演時間はもうすぐだった。県外ナンバーのバスの乗客が大勢賑やかに前を歩いていく。距離は短いが息切れで数人 ![]() 農村舞台は神社の境内にあり、広場の奥に建っていた。古い農家の住居のような建物で、すぐ横には太夫が熱弁をふるう小さな瓦屋根の小屋があった。舞台の前にはゴザが敷いてあり、すでに多くの人が座って開演を待っていた。私は神社の下にある見晴らしの良い場所に座った。すぐ隣の人がゴザを使うよう勧めてくれた。 幕が開いた。最初のお題目は、勝浦座の式三番叟(しきさんばそう)。三番叟とは、おめでたい儀式曲でお正月や上棟式などに演じられるものらしい。鈴と鼓と拍子木囃子に、 ![]() 次が人気の、傾城阿波の鳴門。今日は、順礼歌の段と十郎兵衛内の段(じゅうろうべいすみかのだん)だ。 これは阿波徳島藩のお家騒動で、主家の名刀が盗まれたのを取返しに、藩臣十郎兵衛とお弓夫婦は娘を母にあずけ旅に出る。そして数年後、”おつる”は父母をさがして順礼の旅に。 ご詠歌を歌う可愛い女の子が門口に立った。 お弓が国を尋ねると阿波の徳島であり、父母に会うために順礼をしていると言う。 ![]() ”とと様の名は阿波の十郎兵衛、かか様の名はお弓と申します” まぎれもなく母の手元に残してきた我が子。すぐにでも名乗って抱きしめたいが、この夫婦は今役人に追われている身・・・ 太夫が声をあげ、この名場面をせつなく悲しく語る。 観客が固唾を呑み聞き入るひと時だ。 この後、人形浄瑠璃は、生写朝顔日記、絵本太功記と続き、襖からくりに入った。 ![]() 襖は130余枚で、景色や動物や文様などに次々と変化し、42景を演出する。 全て手動になっていて、氏子たちが裏で手早く操作するのだ。 何とも不思議な世界へ入った気分だ。 どうなっているのかなど考える隙もない、素早く変化してしまう。 全ての演目が終了した後、この舞台の中を見せてくれた。 ![]() ただ残念な事にカメラのバッテリー切れだ。 あまりにも長く動画撮影をしてしまったようだ。 折角の公開してくれた内部の撮影はできなかった。 この大木に囲まれた神社の森は、まだ陽が沈んでいる時間ではないものの、少し薄暗くひんやりとしていた。 素晴らしい人形浄瑠璃の演目だった。三味線と太夫の語りが耳にしっかり残った。 Home へ |
![]() この舞台の大きな特徴は、舟底楽屋と襖からくり。 舟底楽屋は、舞台の下に舟底のように地面を40cmほど掘ったもの。 襖からくりは、130余枚の襖を氏子たちの手によって景色を変化させるからくり。阿波独特のもので全国的にも大変珍しいものらしい。 ![]() 寒い中、長い時間ずっと座っての観劇は辛い。それでも途中で退場する人はいないようだった。 |