メ コ ン の 流 れ と と も に    2
 クアラルンプールのブダヤ・クラフトへ
マレーシア 2   1月17日 (火)
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1.マレーシアの伝統工芸村、『コンプレックス・ブダヤ・クラフト』へ

宿を出ると湿気と熱気で東南アジアにいる事を実感する。一昨日まで雨だったようなのだが、今日は朝から晴天で日差しが強い。部屋は冷房が効きすぎていて寒かった。外ではもうとっくに仕事が始まっているが、工事関係の人は皆一様にだるそうでボーとしているように見える。動きが緩慢だ。

『タイムズスクエア』に入る。正面入り口は広い空間があり、旧正月を間近に控え、赤基調の派手な飾り付けがされている。エスカレーターで上の階へと上って行くが、何度か行ったフードコートが見当たらない。
中央の吹き抜けを取り囲む主通路は分かり易いが、遊園地の乗り物がある辺りは、通路が少しばかり入り組んでいる。
マクドナルドに入って、朝メニューのソーセージマフィンを注文する。セットメニューだが、ここではマフィンとホットコーヒーしか出てこない。RM7.84だ。すぐ横では何階分もの空間を、ジェットコースターが轟音と歓声と共に通り抜けて行く。海外に出るとよく朝はファストフード店でゆったりと時間を過ごすが、ここでは何とも落ち着かない。


再び街に出ると、どの店も、大きなショッピングセンターも、派手な正月飾りが目につく。
ブキッビンタンの交差点にある、観光案内スタンドに地図が置いてあったので貰った。今日は先ず工芸村のプダヤ・クラフトへ行こうと思っている。ここからは歩いてもそう遠くない筈だ。
私は大通りをぐるっと回って行くと思っていたのだが、この観光地図は何かブキッビンタン通りからすぐ入れるように見えた。これだと随分近い。
ところが、行けども行けどもそんな道はない。交差点に差しかかる度に近くの人に道順を聞いた。私が思っていた通りぐるっと回る道だった。地図をよく見るとやはりこの道しかなさそうだ。地図の見間違いと言うか、紛らわしい書き方だ。
それでも、辺りは大都会のど真ん中でありながら、あちこちに熱帯の大きな木や植物が植えられているので、交通量は多いものの騒然とした雰囲気はない。道路も歩行者が右側通行なので横断歩道も渡りやすい。ただ日差しが強く、この程度の距離を歩いただけでも疲れてきた。

結局、東側からぐるっと回ったようで、随分遠回りをしてしまった。これだと地図を当てにせず、思っていた通りに歩けば近かった。
そしてやっと『KompleksBudayaKraft』、の入り口を見つける事ができた。

正面には、ミュージアムや工芸品の店などが入る大きな建物があり、周辺にも色々な施設が並んでいる。左側から奥の駐車場の方にかけては小さなコロニーが点在していて、アーティストのギャラリーやバティック等が体験できる施設になっている。
この日は人影がまばらで、どのクラフト小屋もひっそりとしていた。
私は次々と見て回ったが、やはりバティックをやっている所が多くて、一般客が大勢でバティック体験をやっている小屋もあった。
施設の奥の方に、テーブルがいっぱい並んだ、フードコートがあったので入ってみた。この広いフードコートは、入園客より従業員の方が多いみたいだ。ここだけは長い行列ができていて賑わっていた。


各コーナー共に、客が何やら複雑に注文を出している。ぶっかけ飯用のおかずの入ったトレーが並んでいる。その横にも何やらいっぱい置かれていて、あれこれ載せてもらっている。どう注文するのだろう。しばらく皆がやっているのを眺めていた。それでもよく分からない、面倒だ。次々とコーナーを移動してみたが、この時間は人も多いので、客が一段落してからにしようと考えた。急ぐ事は全くないからだ。そしてしばらくフルーツでも買ってきて食べていよう。

カットフルーツが並んでいる店には、マンゴー、パパイア、スターフルーツ、スイカ、パイン、メロン、青リンゴがあった。パインとマンゴーを買った。ビニール袋に入った果物に楊枝を付けてくれた。

しばらくの間、皆が食べているテーブルの方を眺めて過ごした。涼しく休憩にはもってこいの場所だ。半数位の人は右手で器用に掴んで食べている。フォークを使っている人との区別がつかない。きれいな服装の人でも手で掴んで食べているのだ。

そうこうしていると、あっけなくラッシュが終わり客が少なくなった。
私の出番だ。一番端の簡単そうな店、おかずのバットがたくさん並んでいる。おばさんがチョッとにっこりした。先ずプレートにご飯を入れて貰い、エビのあんかけ風の物を指さすと、これ位?と顔を見る。OKを出し、次に野菜とチキンの煮物を選ぶ。こちらも顔を見ながら量を決める。それでOKと言って、How much?と言えばこれが通じない。おばさんは困って隣の客に聞いていた。その人がスリー・フィフティーと教えてくれた。
そしてスプーンとフォークを出してくれた。エビはかなり辛いがうまい。時々チクッと殻が刺さる。痛いのだが辛さで口の中が痺れていて、この痛さがどれ程なのか分からない。鶏肉も骨が中に潜んでいてガリッと音がする。美味しい、何とも素朴なおふくろの味だ。
2時を過ぎる頃になると殆ど客がいなくなり、店のバットに盛られていたおかず類も少なくなっていた。赤い服や黒い服を着て、黒いスカーフのを着けたおばさん達が、次々とテーブルの食器を片づけていく。エアコンがよく効いていてしばらく動きたくなかった。
ここには飲料の自動販売機が置かれていて、ペットボトルに入った何種類もの飲料がRM1で販売されていた。


食事を済ませた後は、本館のミュージアムに入ってみた。ここだけは入場料RM3が必要だった。中には彫金、陶器、刺繍、織物、それにバティック等の歴史や技法の解説がしてあり、たくさんの逸品が展示されていた。


2.チョッと不気味な『トゥドゥン』が並ぶ商店街

ブダヤクラフトを出て、JL Conlayを歩き、モノレール駅ラジャチュアンへ向かった。大通りの道端には熱帯地方独特の巨大な樹木が生えていて、空き地には雑草がジャングルのように茂っている。
ここからチャウキットまではモノレールに乗って移動する。
トゥンク・アブドゥル・ラーマン通りの上に出ると、すぐ右側に一面黒いテントに覆われた、チャウ・キット市場が見えてきた。
この辺りはマレー系住民が多く住む地区で、以前は多少治安の悪い場所とされていた。
チャウ・キットのモノレール駅を下り、大通りを南へ歩く。Jl.RajaAlangを左へ入ると、果物屋が何軒も並んでいて、露店ではサトウキビを絞っている光景が目に入った。
広大なチャウキット市場の中に潜入してみた。何とも広い。チョッとぐるりは回れない広さだ。それに生鮮物の辺りは足元がぬかるんでいて滑りそうな上に汚い。市場の人達の熱気にも負けてしまう。ぶらぶらしていると仕事の邪魔をしてしまいそうだ。市場の中はインド系や中国系の人も多かった。

チャウ・キット市場を出て、モノレール高架橋の下を歩き、衣料品や生地屋の多い地区へと歩いて行く。
このトゥンク・アブドゥル・ラーマン通り近辺には、3本の通りが平行に走っていて、すぐ横のLorongTuankAbdulRahman、それにJl.MasjidIndia、と買い物の散策ができる。生地屋は殆どバティックを扱っているし、衣類になった商品の店も多い。仕立てもやっているようだ。

大通り沿いで存在感のある建物が、庶民的なデパートの『そごう』、だ。今回は行かなかったが、衣料品の価格ラインも低く設定されているようだし、サイズもカラーもルックスもそれなりに豊富だ。フードコートも広くて庶民的な感じで混んでいた。ただ、日本の感覚でトイレに行くと有料になっていてびっくりする。モノレール線とは離れてしまうが、スターLRTの『バンダラヤ』や、KTMコミューターの『バンク・ネガラ』駅にも近く便利な場所だ。

カラフルなスカーフ『トドゥン』の店マレーシアの『トゥドゥン』、はカラフルでいろいろなデザインがある。女性が髪を隠すためのものだが、かえって頭の部分を強調してしまっている。これはもう宗教を超えたファッションの世界だ。
こんな風に人形に被せ展示してある店が多い。道端に頭だけを並べて立ててある店もあり、夜はちょっと不気味そうだ。
見慣れないと少し違和感があったが、女性のトゥドゥン姿もなかなか良いものだ。しかも殆どの場合、美しく見せる効果もある。
阿波踊りに行くと、踊っている女性の誰もが美人に見えるのだが、これは『夜目、遠目、笠の内』、と言われる効果のせいだが、トゥドゥンにも同じような笠の効果があると思う。


Jl.MasjidIndiaの方はインド系の商品を売る店が多く並んでいる。アクセサリーの店が多く目に付く。そのずっと東側の方へ歩いて行くと、インド人がたくさん住む住宅地に出た。そこでは少し違った空気を感じた。


3.ムルデカ広場からパサール・スニへ

トゥンク・アブドゥル・ラーマン通りを更に南へ歩くと、スターLRTの高架橋があり、すぐ先の橋を渡ればムルデカ広場になっている。この国の人々にとっては重要な場所だ。ただ、観光客としては芝生が広がっているだけの場所にしか見えない。
それでも高いポールにはマレーシアの国旗がたなびき、周囲にはイギリス統治時代の歴史的な建物も多い。広場の隅の方にはチョッと腰掛ける場所もあったが、日差しが強くてゆっくり座ってもいられない。


そこから川沿いの道に出て、マスジッド・ジャメを眺めた。私はいつも遠くから眺めるだけで、まだこのモスクへは行った事がない。マレーシア発祥の地に建つこのモスクには、歴史と小さいながら存在感がある。白いドームが印象的だ。
そこから橋を渡り、川辺の遊歩道を歩くとパサール・スニに出た。中に入ると涼しく、整然と店が並んでいる。以前よりきれいになっているように思った。民芸品は何でも揃っていて、おみやげ探しにはいい場所だ。しばらく店内を歩き、スティックのアイスを買って外に出た。


明日のAirAsiaバンコク便は14時発になっている。この時間だと早朝にバタバタする事もないが、LCCTへのバスの便だけはチョッと気になっていた。
LRTのパサール・スニ駅からプトラでKLセントラルへ行ってみる事にした。
KLセントラル駅は賑わっていた。通路の中央には屋台がぎっしり置かれていて動き難い程だ。
エスカレーターで下のバス乗り場へ行った。埃っぽく薄暗い中に赤いAirAsiaのバスが停まっている。明日のAirAsiaバスの時刻を確認した。9時30分、10時、10時30分・・・がある。
この赤バス以外にもAEROBUSがあり、こちらはRM8でチョッと安い。24時間ほぼ30分毎に運行している。しかも時刻表ではこのバスは所要60分(赤バスは75分)になっていた。こちらの便は9時45分、10時15分、10時45分・・・とかだ。
エスカレーター近くにあった自販機でペプシコーラを出した。RM1で安いのだが、生温くて飲めたものじゃない。

その後マックに入り、ガイドブックを見たり日記を書いたりしながら過ごしていると、トゥドゥンを被った女性が次々とやって来て、何やら話しかけてくる。宗教とか援助団体だったりするようなのだが、チョッと落ち着かない。

再びプトラでチャイナタウンへ戻ってきた。
ペタリン通りの近くを歩く。チャイナタウンは通路が狭く、屋台が道を占領していたりするから歩き難い。通りの真ん中辺りで、カットされたスイカの袋入りを買った。
欧米人が通りの両側にあるテーブルでビールを飲んでいる、そんなカオサンのような光景がここにもある。テーブルの上に食べ物はなく、ただ氷の入ったサーバーにビールが入っているだけだ。疲れているのか、あまり話をしているようでもない。

チェン・ロック通りからプドゥ通りへ出て、新しくなったプドゥラヤ・バスターミナルの中に入ってみた。
大通りからオートウォークで本館の待合所に入る事ができる。

このプドゥラヤ・バスターミナルは、まるで空港のような施設に大変身してしまった。以前は雑然として熱気ムンムンだったが、今や空調が効いて涼しく、きれいな椅子が整然と並んでいる。
床はピカピカだ。食べ物の匂いも全くしない。あのノスタルジックな雰囲気はどこへ行ってしまったのだろう。出発案内の液晶表示板も、まるで空港のようだ。


徐々に辺りが薄暗くなってきた。ペタリン通りの外れまで歩いて、モノレールのマハラジャレラ駅へと向かった。途中人影も少なく、駅へ上るエスカレーターにも明りが点いていないのだが、暗闇の中でゴトゴト音を立てて動いていた。


4.ブキッビンタン、Lot10のフードコートへ

ブキッビンタンで降りればよかったのだが、インビまでチケットを買ってしまっていた。工事中の道路の端を歩き、Lot10へ向かう。いつもブキッビンタンにはそれなりの賑わいがある。中華街とは少し客層が違っているようにも感じる。
Lot10に入りイセタンの食料品売り場を覗いてみた。売り場面積は狭く商品数もそう多くない。帰りに買う物をチェックし、すぐ前のフードコートへ行った。
迷路状になった各店の間をぬって美味しそうな店を探してみた。そして久しぶりにナシゴレンを食べる事にした。少し辛めだ、水を売っている店を探したが近くにはなかった。

食後、イセタンでココナッツの飲料を飲み、チョッとだけ買い物をして店を出た。
宿に帰り、シャワーを浴び衣類を替えたらすっきりした。持ってきたユニバーサルコンセントは優れ物だ。出力側が2カ所ありパイロットランプも点いた。カメラの充電をしながら、PCを開いた。




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ブキッビンタンのモノレール駅。レールに沿ってJl.SultanIsmail、交差しているのがJl.BukitBintang。すぐ左側にはLot10がある。

コンプレックス・ブダヤ・クラフトにある各施設のレイアウト表示板。黄色いマークがフードコートのある施設。民芸村は正面入口の左側。

プダヤ・クラフトの中にある民芸村。各アーティストの工房がある。

美術・工芸品を販売しているフロア。ここではマレーシア中のあらゆる工芸品が手に入る。

トゥンク・アブドゥル・ラーマン通り界隈。生地屋がたくさん集まっている。この近辺はインド人が多く住んでいるエリアだ。

トゥンク・アブドゥル・ラーマン通り付近にあるアーケード街。

『トゥドゥン』を売っている店。マネキンの頭に被せてある見本品はかなりリアルでチョッと恐い。

クアラルンプール発祥の地。『泥の川が合流する場所』、中央に小さく見えるのが『マスジッド・ジャメ』、だ。

ムルデカ・スクエア(独立広場)。1957年8月31日、イギリス統治下から独立を宣言した。

ムルデカ・スクエアのすぐ前に建つスルタン・アブドゥル・サマド・ビル。イギリス統治下の事務局があった。

新しくなったプドゥラヤ・バスターミナルは乗り場が整然と配置されている。床もピカピカだ。

夜のブキッビンタンから、KLタワー方向を眺める。