タ イ 北 部 と ベ ト ナ ム を 巡 る 33 |
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1.早朝、未だ薄暗いバンメトート(Buôn Ma Thuột )に着いた 辺りがざわつき、乗客が降り始めた。通路を歩く人が「バンメトートに着いたよ」と声をかけてくれる。窓の外はまだ薄暗い。小さいバッグを肩にかけ、靴の入った袋と飲みかけの水のボトルを持って急いで降りた。 ![]() ![]() 乗客が誰もいなくなったところで、トイレを済ませ顔を洗う。蛇口の水が冷たい。ホーチミンとはだいぶ違っていた。 この事務所の従業員は出勤してくるのが早い。バスが着いて間もなく女性2名が出勤してきた。辺りの土間を掃除し、トイレの掃除をする。それが済むとデスクについた。男性職員も少しづつ増えて体制が整っていく。 営業所の中は椅子がいくつか並んでいて、片側の壁際には荷物が積まれている。そして時々その荷物を探して持っていく。配達の人なのか営業所まで荷物を取りに来た客なのか。これらは何台かのバスで運ばれてきた荷物のなのだろうか。 ![]() ![]() すっかり明るくなって、バイクやトラック、バスが引っ切り無しに走り出した。バッグは椅子の横に置いたままで外に出てみた。左側に大きな交差点があって、多くの車は三叉路をまっすぐ走って行く。それでもいくらかは、この営業所の前を通るようだ。市内バスなのかチョッと小さめのバスも次々と走って来る。あのバスに乗れば市街地に出られそうだ。 道路と反対側は深い窪地になっていて坂道が住宅地の方へ下っている。そのずっと先の方はコーヒー園のようにも見えるが、何かの畑地のようだ。私がバンメトートへ来た目的の一つはコーヒー園を見る事だった。チュングエン発祥の地でもあり、辺りはコーヒー園に囲まれ、カフェがいっぱいある。そんなイメージの町だ。コーヒーの産地で美味しいコーヒーを味わうのも目的だ。ベトナムはコーヒー輸出が世界第2位の国でもある。その中心地とも言われているのが、ここバンメトートのようなのだ。それと、この後バスターミナルへ行って、バスの便があれば『ブオンドン』とか『ブオンジュン』の村へ行ってみたいとも考えていた。 ![]() ![]() 三叉路の近くまで歩くと少し先に食堂が見えた。入り口のテーブルに2人座っていて、今まさに注文したものが運ばれてきたところだ。その人たちに、2種類のメニューの中で美味しそうに見えた方の名前を聞いてみた。『bún riêu』(ブン ズィウ )だ。店の人には、これと同じ物をと指さす。ブンとかフォーはベトナムでは朝食メニューの代表だ。運ばれてきたブンにはいろんな具材が入っているが、チョッと得体の知れない違和感もあった。 2.小さな路線バスに乗ってバンメトート中心部へ さすがにバンメトート。チョッと歩いただけでも、辺りにはカフェがやたらと目に付く。コーヒーでも飲みたいところだが、市街地に出て早くホテルに荷物を預けたい。 朝の通勤時間帯なのでバスはいくらでもやって来るが、バス停がよく分からなかった。しばらく様子を伺ったが、どうも乗り場がはっきりしない。この辺と思った場所以外でも停まっているのだ。行き先については気にもし ![]() ![]() 小さなバスはどんどんやって来る。その中で空いていそうなバスを探す。特別大きくはないが、混んでいればバッグがあると気を遣う。 そしてやって来たバスに手を挙げると停まってくれた。多少混んでいて座席には座れない。車掌がやって来てどこまでか聞いた。慌ててスマホの『Google map』を見せ、大きなロータリーの戦勝記念碑を指さした。こんな時にはガイドブックの地図は全く役にたたない。漢字とカタカナになっていて現地語で表記されていないのだ。 ![]() ![]() バスは記念碑のある大きなロータリーを過ぎた場所で停まった。車掌に呼ばれてここで降りる。乗客も数人一緒に降りた。地図でもそうだが、どう見たってここが市内の中心地のようだ。幹線道路のQL14がロータリーで大きく分岐し、真ん中には戦勝記念碑が設置されている。辺りは整然とした街づくりがされていて、さすがに省都の雰囲気を感じさせる。 ロータリーから『Hùng Vương』通りの方へ行くとカフェがあり、店の前にテーブルが出ていて何人かの客がいた。私も一旦ここで休憩だ。ホテルのチェックインには早すぎるし多少時間潰しも必要だった。 3.嫌な男にからまれてカメラを盗まれてしまった 『Nguyễn Công Trứ 』通りにある、今日のホテルは『エデンホテル(Khách sạn Eden )』だった。予約サイトの地図が合っていれば簡単に見つかりそうだし、ここからは近い。 この通りは閑静な家並みが続いている。住宅のようであっても、道路に向かってはチョットだけ商品を並べた商店になっている。1km程歩いてホテルを見つけた。道路沿いにありよく目立って分かり易かった。 まだ時間は早かったが、チェックインできると言ってくれた。フロントから近い1階の部屋だ。清潔そうな白基調の明るい部屋になっている。エアコンのスイッチを入れてしばらく休んだ。窓から眺めると、通りの裏側は雑木林になっている。そのずっと向こうは住宅地のようだが、歩いてきた通りとは全く雰囲気が違っていた。 ![]() ![]() 再びロータリーを目指して歩く。『歩き方』には、ロータリの辺りにもバス停があって『ブオンジュン、ラック湖行きバス停』と書かれていた。そこで乗れれば楽だ。 Nguyễn Tất Thànhの大通りに出ると、バス停らしき場所がありバスを待っている人もいた。それでもここには路線図もなく時刻表も無い。こんな所で行き先表示もよく分からないバスを待つのは無理だ。後でバスターミナルへ行ってみよう。 きれいに整備された大通りの歩道をしばらく歩いて行くと、向かい側にCO-OPマートが見えて、右側にはチュングエンの本社らしき建物があった。そのすぐ横はコーヒーの直売所になっている。 ![]() ![]() 一瞬で眠気が覚めた。辺りを見回してみたが男の姿は無かった。慌てて店内に入ってみたが客が多くとても分からない。外に出てセオムのおじさん何人かに聞いてみたが皆知らないと言う。ぐるり歩いて探したが見つかるわけがない。ここに住み慣れた者は隠れるなど日常の事だろう。 カメラを盗まれてしまった。カメラはいいが、旅を記録してきたSDカードが無くなっては困る。タイで一度だけ取り換えたが、多くの写真が入っているのだ。 以前ホーチミン4区でもこのような男がいた。その時は幾らかお金をあげたらいなくなったが、彼らはお金か食べ物かを要求しているのだ。東南アジアでもこの類はベトナムだけだった。(中国・西安では道を尋ねたらお金を要求された) 4.近くのCO-OPマートに駆け込んだ 急いで、再びのO-OPマートに駆け込んだ。案内所には女性が4人いた。警察の派出所を教えてほしいと聞くのだが、なかなか言葉が通じない。それでも、その中の1人が、何が起こっているか分かってくれたようで、スマホで派出所を探してくれている。そして、私のスマホの地図を指さして、「ここ!」と言った。それにメモ用紙に所在地まで書いてくれた。私は急いでCO-OPマートを出た。だいたいの場所は分かる。それにしても近くによくCO-OPマートがあったものだ。一般人ならとてもこの状況に対応などしてくれなかっただろう。 東南アジアの各国ではよく見かける光景だが、バイクタクシーとかトゥクトゥクとか、客を探しながら仕事をしている運転手は街角にいっぱいいて、絶えず客になりそうな人を探している。だから私が嫌がらせされてカメラを盗まれた現場は誰かが必ず見ている筈なのだ。それでもあの時、おじさんたちに声をかけてみたが、皆一様に知らないと言った。 まあ、関わり合いになりたくないのだろう。そんな人たちだから、CO-OPの女性はさすがに少しレベルが高く感じた。 5.教えてもらった警察の派出所では 教えてもらった場所へ、ロータリーを左へどんどん歩いて行く。あちこち探したが、日本のような造りになっていないので時間がかかった。 派出所には誰もいなかった。日本でも、巡回中は電話するようにと書いて留守にする事が多いようだが、こんな緊急時には不便だ。大声を出しても誰も出てきてくれない。建物をぐるり回ってみると、お昼休みをしている人がいた。窓をノックすると気が付いてくれたようだ。知らない者が大声を出すものだから、しぶしぶシャツを着ながら出てきてくれた。不審そうな怪訝な顔つきだ。 何の要件か聞いたが、話しても言葉が通じない。 私はカメラを盗まれた事を伝えて何か書類を書いて欲しいのだ。盗難届けの証明書がどう作用するかは分からないが、とにかく届書を書いて欲しかった。とりあえず事件に遭遇した事が言いたいのだ。 カメラが戻ってくるような気はしないが、それは仕方がない。それに安いカメラだし、予備のカメラも持っていた。 その方は両耳を指さして、聞いても分からないとジェスチャーした。それでも、やってもらわなければ私は引き返せない。届書の用紙が欲しいと言ったが、そんなものは何も無いと言う。 警察官は困ってしまっていた。そしてどこかへ連絡をしている。何も変化しないままで時間が過ぎていく。 しばらくして他から1人の警察官がやって来た。そしてまた1人と増えていった。 次々に増えていく警察官。その度に、最初から同じ状況説明をジェスチャーでする。机の周りが会議のような雰囲気に変わっていく。このたくさんの人達の部署や役職は私には分からない。それでも段々と地位が上がっていっているのだけは分かる。そして目つきの鋭い、現場の捜査官のような若い警官2人も加わった。 Wi-Fiがあると翻訳ソフトが使える。尋ねると、あると言った。番号を入力しスマホを接続してみた。これで何とかベトナム語の翻訳が使えるようになった。警察官の1人も翻訳ソフトを入れていた。両方でスマホの会話が始まった。オリーブ色の制服を着た警察官が書類を書いてくれている。 私はお昼頃からこの駐在所に来ていたので、もう喉がカラカラになっていた。汗もいっぱいかいた。 しばらくして、すぐ隣に若いきれいな女性が座った。私は警察官と思っているが他の機関の方かも知れない。発言はしっかりしていて日本語もはっきりしている。かなり聡明な感じがした。 この女性が来てくれて日本語を話す事で、この後一気に事情説明がはかどるようになった。 カメラはいいにしてもSDカードを無くすのが辛い、何度もそう言った。私は旅のメモをあまり取らないので、代わりにあちこち写真をいっぱい撮る。そんな事で、小さく軽いカメラをすぐ取り出せるようポケットに入れて歩いている。 そこに今度は見覚えのあるおばさんが現れた。ヘルメットを被ったままで立っている。よく見ると、ホテルのフロントにいた人だった。警察からの依頼で私のパスポートを持ってきてくれたのだ。ベトナムではホテルでパスポートを預けなければいけない。おばさんはしばらく待っていた。私をバイクに乗せて帰ろうと思ってくれているらしい。その内、警察官がおばさんを帰した。 誰かが飲み物のボトルを買ってきてくれ、飲むように勧めてくれた。何とも親切な方だ。私は朝のBun Rieu から後は何も食べていないし飲んでもいない。喉はカラカラだ。すぐいただいた。これでかなり楽になった。日本の夏はよく熱中症に気をつけ水分をしっかり摂るよう、とか言われるが、そんなの今の私にはとっくに通り過ぎてしまっていたのだ。 ここでは入れ代わり立ち代わり警官が事情を聴いてくれた。日本の警察はこんなに親身になってやってくれる事はまず無い。何とも好意的で熱心な方たちに驚いた。 夕方5時頃になってやっと書類を書き終えた。調書を延々と書いていた制服の警官と握手をした。快く事情を聴いてくれた多くの警察官と、通訳してくれた女史には本当にお世話になった。 6.心に沁みるほろ苦いゴーヤスープの味 とぼとぼ記念碑まで歩いた。辺りには何人かいて、ライトアップされた戦車の前で写真を撮っていた。私もスマホで何枚か撮った。ここは戦勝記念碑だが、今の私は何かに負けて傷ついた気分でいる。 街の中心部の、ど真ん中に戦車を置いた記念碑。カメラが無くなって、今までの写真が消えてしまったのが悲しい。旅日記も書けなく ![]() ![]() Hùng Vương通りの『COM TAM』の店に入った。適当におかずを選び席に着く。お腹は空いていたが、ご飯より冷たい水が欲しかった。凄く喉が渇いていた。女の子に「早く氷と水が欲しい」と言ったら、コップに氷とお茶を入れてきてくれた。ベトナムのご飯はどれも美味しい。この店も例外なく美味しいのだが、ゴーヤのスープはやたらとほろ苦く心に沁みた。 再びとぼとぼと Nguyễn Công Trứ 通りを歩きEDENホテルに帰った。何とも心が晴れない。もうこの旅が終わったような気さえした。緊張と過度のストレスですっかり疲れてしまっている。LINEとメールで日本のあちこちこに被害の事を連絡した。 Topへ 前へ ◀ ▶ 次へ |
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