タ イ 北 部 と ベ ト ナ ム を 巡 る  34
恐るべきベトナム警察、カメラが
ベトナム  4   4月10日(日)
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1.スマホの着信音で目が覚める ”カメラが戻ってきた”

6時40分にスマホの着信音が鳴った。日本時間だと9時近いから特に早くはないのだが、私はまだベッドにいた。
画面のメッセージには、「カメラが見つかりました!カメラを貰うため警察の事務所に来てください」と書かれている。
何と、半分は諦めていたカメラが戻ってきたと言うのだ。しかも昨夜、メールで見つかった事を知らせてくれていたそうなのだ。私はチェックしていなかったのでその時まで全く知らないでいた。何なんだろう、このベトナムの警察の力は。そして、9時にバンメトート警察署に来るよう所在地が書かれていた。旅行者はいついなくなるか分からないので、連絡を急いでくれたようだ。若し帰国してしまうと見つかったカメラも渡せないし、捜査用の書類も書けない。
私は殆どタクシーは使わないが、警察署がどこにあるか分からないので、フロントへ行って手配してもらった。



2.何とも親切に対応してくれたバンメトート警察に感謝

Ly Thai To 通りにあるバンメトート警察署(Công an TP Buôn Ma Thuột)。この公安(Công an)と言えば日本人でも分かる言葉だ。昨日お世話になった警察官もいるのだろうか。
待ち合わせ場所は、バンメトート警察署の入り口だったが、タクシーは守衛とチョッと話しただけで、そのまま構内へ入ってしまった。そして館内まで案内されたのだ。すぐ担当の警察官がお見えになり、カメラが運ばれた。運転手はと言えば、同じ場所に座っている。さてどうしたものか、帰るまで待たせるべきなのだろうか。すると警察官がお金を払って帰るように言った。タクシー代を払おうとすると、「いいから」と言って取らなかった。何と警察官にタクシー代まで出させてしまった。こんな事でいいのだろうか。

カメラの底部に貼り付けてあったテプラの名前は剥がされていなかった。昨日の事情調書で言っていたカメラの形状や型名の事もあったが、名前が書かれていると何の確認も要らなくなってしまった。持ち物に名前を書いておく事の重要さを改めて感じた。そしてカメラより大事なSDカードは入ったままだった。

しばらくしてあの美人女史も来られた。そして、カメラの受け取りの件や犯人捜査の件など、書類の作成が始まった。多くの質問に答え、書類が完成し、日本の住所を記入してサインをした。

昨日お世話になった警察官は今日は誰もいなかった。私の旅は本当に一期一会だ。それにしても恐るべきベトナム警察。凄いと思った。それにあんなにも熱心に事情を聴いてくれ、対応してくれるなんて。日本の警察が外国人のトラブルに対してこのような対応ができているのか、甚だ疑問だ。
ラオスのパクセーでホテルの予約に関してトラブルがあり、警察に行って相談したが、殆ど親身になってやってくれる事はなかった。何か言えば、「ここはラオスだから」と言うのだ。

ベトナム・バンメトート警察署の警察官、関係者の方々には本当にお世話になってしまった。感謝の気持ちでいっぱいだ。


3.木々に囲まれたカフェは『Quan ca phe @』だった

私が考えていた、バスターミナルへ行って『ブオンドン』と『ブオンジュン』行きのバスを調べて、翌日どちらかへ行く事。そんなのはこの件で夢と消えてしまっていた。
あのカメラですっかり予定が変わった。エネルギーを使い果し気力さえ無くなってしまっている。

それでもチュングエンのカフェに行く事やコーヒー園を見る、これなら何とか出来そうだった。女史に聞いてみると「この道を少し歩いて行けばチュングエンのカフェがある。コーヒーの木も見られるよ」と言った。それだけの情報を教えてくれただけで、彼女はとっとと帰ってしまった。

さて私は、はっきりとは分からないまま北へと歩き始めた。カメラが戻ってきてそれなりに気分は良い筈なのだが、気疲れもあったり暑さにもまいっていて、さほどテンションは上がらない。

この Ly Thai To 通りを歩いて行くと、チュングエンの看板がかかった、塀に囲まれたカフェが見つかった。これだ!と思い感激しつつ入った。

広い庭になった空間にテーブルがたくさん置かれている。辺りを木々に囲まれた雰囲気の良い店だ。
席に着くが、女の子にはなかなか気づいてもらえない。何度か手を振って呼んでみた。注文は『カフェ・スア・ダー』と言ったつもりなのだか、伝わらないようで怪訝な顔でじっと見ている。ベトナム語の発音は本当に難しい。6つの声調なんてとても分からない。と言うか何の勉強もしていないところに問題がありそうだが。中国だと漢字なので筆談ができる。台北郊外、猫空(マオコン)の茶芸館で作法を教えてもらう時、店の人は紙とペンを持ってきた。


Ly Thai To 通りにあるこの店は『Quan ca phe @』のようだ。チュングエンの看板は掛かっているが、日本でもよくある看板で、チュングエンのコーヒー豆を使っている意味だろう。ここは私が目指していた『Làng Cà phê Trung Nguyên』(チュングエン・カフェ)ではなさそうだ。何たってコーヒーの木が植えられているように広くはないし、コーヒーのテーマパークっぽい雰囲気など全くない。
しばらくして、ベトナム式ドリップがやってきた。テーブルの上では、ドリップからゆっくりと、一滴づつ練乳の上にぽたりぽたりコーヒーの滴が落ちる。コーヒーのいい香りが辺りに漂ってきた。


4.ぶらぶら歩いてあの『COM TAM』の店へ

ぶらぶら歩いて戻る途中、公安の手前を左へ進むと、市場や小さなバスターミナルのような施設があった。大通りとは違ってかなり庶民的な通りだ。昨日の件もあり、寂しいこの通りを速足で歩いた。
そしてその後、行き着いたのは、何とCO-OPマートの横だった。絶対に再び通りたくない場所。ゾクッとした。仕方ないので辺りには目もくれず速足で通り過ぎた。

ホテルへは大通りから路地に入りクネクネと歩けば近道できるのだが、どうも大通りばかりを歩いてしまっている。今日とて一旦、記念碑のロータリーまで戻ってからホテルまで歩いているのだ。
EDENホテルに帰り、しばらくエアコンの風に吹かれて休憩した。冷蔵庫の飲み物は何種類か自分で買ってきて補充している。

ホテルで貰ったバンメトートの地図には、この辺り周辺に住む少数民族の村が5か所記入されていた。独特の形をした高床式の住居に住んでいるらしいのだ。『ブオンジュン』ではこんな生活も見てみたいと思っていた。
『地球の歩き方』の本には『アコドン村』が載っていた。今もエデ族が普通に暮らす伝統的な高床式ロングハウスが見られる、と書かれている。
と言う事で、これから『アコドン村』(Buôn Akô Dhông)へ行ってみる事にした。

何度も歩くNguyễn Công Trứの通り。 Hùng Vương通りに出て『COM TAM』に入った。おかずは毎日替わっているのだろうが、私はあまり気にせず適当にそこらの物を指さす。今日は鶏の骨付きもも肉と野菜の和え物にした。この店は普通の食堂だが、清潔だし、何たって美味しい。しかも愛想も良いのだ。こんな食堂があれば何日でも滞在できそうだ。
ご飯の上に鶏肉が載ってその傍に野菜が置かれている。スープも日替わりで何かがついてくる。

美味しく食べた後は、バス停を詳しく見てみた。ロータリー付近には何ヵ所かある。そしていろんな種類のバスがやって来ては停まる。バス停の看板『xe buýt 』の下には番号や行き先らしき地名が書かれているが、消してあったり紙が貼ってあったり、何とも分かりづらい。バスは慣れてしまえば便利な乗り物だが、ここでは難易度が高そうだ。


5.バイクタクシーでアコドン村へ行ってみた

路上にいたバイクタクシーのおじさんにアコドン村を聞いてみると、かなり高い金額を言った。外国人価格はどうも嫌だ。違うバイクにしようと歩きだすとおじさんがついてきて、この値段にすると言った。バイクは走り出した。「ヘルメットは大丈夫か?」と聞いたが、用意してくれるようではない。大通りから左折して住宅街の方へ入った。そしてしばらく走ると、あの高床式住居の村に着いた。料金を払うとおじさんが「もっと欲しい」と言う。いくらか足して払ってあげると、「もっとよこせ」と言った。駄目だと言ったが、それでもチョッと怖かったので、慌ててすぐ前の店に入った。
コーラを飲んでいると近くで犬の鳴き声がした。バイクのおじさんも嫌な感じだが、野良犬の方がもっと厄介だ。


少数民族『エデ族』の人たちが住むアコドン村だが、もともとこの辺りダクラク省はエデ族の居住地であったらしいのだ。そこにベト族が入ってきて、今や少数民族扱いにされている。そんな事情をネットで読んだ。
チョッと意味合いは違うが、アメリカとてインディアンを特定の居住区に集めて白人社会を作ったから、そんなものかも知れない。インディアンが移住させられたオクラホマ州には『sooner』と『eighty-niner』の話がある。1889年、夜明けと共に杭を打った場所が自分の土地になった。夜明けを待たずに杭を持って走ったのが『sooner』だ。オクラホマにはそんな由来の店名や名字が多い。
オクラホマはカンザスと並んで竜巻がよく発生する。私が仕事で何度も行っていた頃だが。オクラホマ空港でみやげ物を探していたら、円筒形のガラス瓶に水と砂だけが入ったのがあった。手に持ってぐるぐる回せば砂が上昇して竜巻のようになるのだ。さすがにこんな単純な物は買えない。その傍にあったのが『インディアンの天気予報』だ。3本の棒を三角錐状に立ててその真ん中に革紐で石を吊るしてある。これは面白い。インディアンが柳の枝を使って水脈を探すようなイメージだった。迷わず買って、自信を持って子供に渡した。するとひどく馬鹿にされたのだ。説明書を読むと、石が揺れていたら風がある。石が濡れていたら雨が降っている。石が白くなっていたら雪が降っている。こう書かれていた。


アコドン村は日本の分譲地のように区画整理されている。地図でも碁盤の目のように見える。昔からこんな配置になっていたとはとても考えられない。それでも辺り一面に高床式のロングハウスが建っているを見ると、異郷の地に足を踏み入れたような錯覚があって感激する。この建物を使ったカフェやチョッとしたテーマパーク的な場所も有ったようだが、詳しくは分からない。
ただ、家の中はかなり広そうで、涼しそうな造りになっていたようだ。


赤土の道路を村外れの方へ歩くと、家並みが途絶えて山林の中に入って行った。道は下り坂でしばらく行くと右側に小さな池があり何人かがいた。その先どの辺りへ出るのかも分からないので、ここで引き返す事にした。昨日の件でかなり臆病になってしまったようだ。この辺りの人たちが怖いのだ。カントー郊外、メコンデルタの村では、水路に沿って細い道を平気でどんどん歩いて行ったが、今は怖気づいてしまった。

それでも、『Buôn Jun』(ジュン村)にもあると思われる高床式住居がここで見られたのだから良かった。ただ、もうチョッと野性味がある生活をしている村も見たいものだ。


6.バインミーを買ってホテルへ戻る

アコドン村の出口には赤い屋根のゲートがあった。ここを通り過ぎると普通のバンメトートの街並みになる。しばらく歩いて行くと大通り(Phan Chu Trinh)に出た。この大通りを記念碑の方へずっと歩く。来るときはバイクに乗ったが、アコドン村は市街地からそう遠く離れていなかった。この通りはQL14のNguyễn Tất Thành通りよりは店も多く、はでやかさがありあちこち見ながら歩く楽しさがある。ただ、歩道上にバイクが置かれていたり、かなり庶民的だ。
道端の小さな屋台のイスに腰かけた。コーラと言ったら、缶入りのペプシと氷の入ったコップが出てきた。チョッと高いが、おじさんはにこにこしている。隣で中学生位の男の子も何かを注文して食べていた。しばらくこの日陰で休んだ。
記念碑が近づいて、交差した道路の方にパンを売っている店が見えた。ここでバインミー・ティットと飲み物を買った。チョッと歩き疲れたが、ホテルまで頑張って歩いて帰った。



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チュングエン・カフェと間違えた『Quan ca phe @』このカフェも Ly Thai To 通りにある。


【ベトナム・コーヒー】
淹れ方による分類をしてみるとこんな風になるが、私は殆どカフェ・スア・ダーを注文する。
1.カフェ・スア・ダー(cà phê sữa đá)
 
ミルク入りアイスコーヒー
2.カフェ・スア・ノン(cà phê sữa nóng)
 ホットのミルクコーヒー
3.カフェ・デン・ダー(cà phê đen đá)
 ブラックのアイスコーヒー
4.カフェ・デン・ノン(cà phê đen nóng)
 ブラックのホットコーヒー
(ブラックで砂糖ぬきはコン・ドゥンkhông đường)



カフェを出て一旦ホテルへ戻る。EDENホテルのあるNguyễn Công Trứ 通り。





街の中心を走るQL14のNguyễn Tất Thành通り。歩道も広くよく整備されている。




バイクタクシーでアコドン村へと向かう。ヘルメットを被っていないと交通違反だが用意してくれなかった。




アコドン村には少数民族・エデ族の方が住む伝統的な高床式ロングハウスが建ち並んでいる。




アコドン村を通る主通路。いくつかの通りの両側に高床式住居が並んでいる。




アコドン村の端にある赤いゲート。高床式住居はここまでだ。