23  霧の晋州から釜山へ

6時に起床し、6時40分に宿を出た。すぐ前の市外バスターミナルから6時50分発の晋州(チンジュ)経由の釜山行き。自販機でチケットを購入。6100Wだ。プラットホームの入り口で尋ねると、もっと向こうだと言われる。
晋州行きだとよく分かるが、経由地で降りる場合は気を使う。釜山行きがいた。晋州で停まるか確認してから、慌てて乗り込んだ。運転手にチケットを渡すとすぐ出発。待ち時間なしだ。辺りは未だ薄暗い。今日は暖かくって天気も良さそうだ。

8時晋州に到着した。殆どの客が降りてしまった。運転手が晋州だと言う。いつ降りればいいか心配だったが、何の事はない。市外バスターミナルを出ると、町はもう動き始めていた。車は通勤ラッシュだ。ただ街はすっぽり霧に包まれている。晋州橋も霧で半分しか見えない。
橋の上から晋州城址の方を見てみる。川沿いの道を通れば行けそうであった。狭い道を車が途切れない。
ほんの数メートル横切るのさえ困難だ。何とか城門に辿り着いた。自由に入れる。ジョギング組みが走り過ぎて行く。この中に入れば穏やかだ。
左側に義岩(ウィアム)の案内がある。ガイドブックで読んでいた。川を見下ろすと見えた。妓生が日本の侍を道連れに入水したと言う義岩。しかも、おあつらえ向きにも旗の立った小舟が一艘いるではないか。これは早く写真を、と急いだ。
辺りは未だ霧が晴れてなく幻想的な雰囲気だ。プロのカメラマンになったような気分がする。でも、よくよく見ると小舟には人形が乗ってるみたいだ。と言う事は、急がなくても毎日この位置にいるのだ。


矗石楼は未だ開いていなかった。写真を撮ろうと高台からカメラを向けると、バケツを持って掃除中だ。アジョッシ、ちょっとどいてよ、と思うのだが全くフレームから外れない。
城壁に沿って歩くと、所々に砲台がある。文禄・慶長の役の激戦地と書かれていたから、ここから日本軍は狙われたのか。
ほぼ一周して北の城門から出た。前には広い駐車場がある。囲いが無いから無料なのかと思っていたら、車が入ると、どこからかアジョッシが走ってきた。


東へ歩き中央路の1つ手前の道を北へ歩いてみた。すると日本の商店街と見分けがつかないような街並みがあった。看板に派手さがないのだ。
そこから東へ行くと中央市場がある。この市場やたらと広いのである。エリアによってで扱ってる物が違っているが、何でも揃っているようだ。生鮮食品の露店通りを歩いていると、前の方がやけに騒がしかった。カネと太鼓と大声、お祭りみたいな騒ぎだ。まるでマダンノリの装束の軍団のようだ。
旧正月の15日には各所でお祭りがあるようだが、今日は違う。何なのかは分からないけど、しばらくそこに止まり楽しんだ。

この時間、市場は閑散としている。魚と野菜と海藻が多い市場だ。そこを通り過ぎると寝具とか衣料品の店が続く。チマ・チョゴリの店だけでも何軒もある。珍しい靴下を見つけた。とてもカラフルだ。民俗衣装と共に使うのだろう。

中央路に戻ると、地下街の案内が出ていたので下りてみた。真直ぐ中央路の下を通っている。整然としてきれいな商店街だ。暖かいから余計に素晴らしく見える。
韓国の冬は寒いから、地下街が発達している。冬はもぐらの生活が一番だ。この通り、晋州橋まで続いていた。
晋州では有名な晋州ピビンパッを食べる予定にしていたが、どうもユッケもソンジ(牛の血を固めたもの)も今は駄目だった。

市外バスターミナルに着いた。釜山へは10分毎に出ている。ここで軽く食事をして、バスに乗った。11時25分発になっていた。晋州には3時間以上居た事になる。

広い平野の中に金海空港が見えてきた。12時50分、まもなく西部市外バスターミナルに着く。バスを降りて歩いて行くとデパートの中に出た。一気に都会になった。ソウル以外、こんな賑わいはなかった。人の数も商店街も、かなり違って見える。若者が多くおしゃれな店がいっぱい有るのだ。

ターミナル周辺を歩いてみた。大通りに沿って商店街が並んでいる。向こう側に渡って路地に入ると飲食店が多い。夜はネオンが明るそうな地域である。旅館も何軒かあった。ここでも良かったがやはり中央洞が便利そうだ。ただ、今は早く荷物を置きたかった。

地下鉄の中央洞駅で降り、国際フェリーターミナルへ行った。関釜フェリーのHPでは今月は1日毎に×が付いていたのでドック入りと思っていた。運行状況をチェックしたかったのだ。
フェリーは通常運航だった。予約番号の入った乗船申請書を貰った。ひとまずこれで安心だ。

フェリーターミナルから鉄道の線路に沿って歩き、コリアンエアビルの前の中央路を渡った。この坂の近くに何軒か旅館が有ったのを見ていたからだ。坂の入り口の交差点に間口の狭い旅館があった。ドアが開いていた。2階へ上がって小さい窓をノックする。ハルモニが外まで出てきた。部屋は有ると言う。1泊2万Wだ。2泊と言うと、3泊にすれば5万Wにすると言う。フェリーの予約も終えているので2泊お願いした。
日本人だと分かって、少しづつ日本語で話しだした。小学5年まで日本語教育を受けていたらしい。今の北朝鮮に住んでいて、あの動乱でここに移り住んだみたいだった。そう聞くと何か少し距離が縮まったような気がしてきた。部屋はオンドルで暖かかった。
早速、荷物を置いて出かけた。

坂の上の道を南浦洞の方へ歩いた。山側の上の方には立派なコモドホテルが見える。しばらく歩くと、下に40階段の公園が見えた。
国際市場を散策しようと、光復洞に出てモクチャコルモクの辺りから入って行った。今日も盛況だ。衣料品、アクセサリー、カバンの店と次々と見て回ったが、今欲しいような物は無かった。ここまで来るとさすがに海外勢が多い。

焼き魚を食べようと思って、PIFF広場から九徳路を渡ってチャガルチ市場へやってきた。先ずは市場の大きな建物の一つに入る。魚市場の中は随分広い。
通路に沿って延々と続く裸電球が眩しい。赤々と魚を照らしている。足元を気にしながら魚を見て歩いた。時折声がかかる。靴底から水が浸みてきそうだ。
外の露店へ行って焼き魚を食べようと、以前に行った場所を探した。やはりコドゥンオを食べようと思っていた。焼き魚の通りは煙が出ていた。
周りはずっと鮮魚が並んでいるのに、向かい側は焼き魚が並ぶ惣菜屋の店になっている。店先でアジュマがユッチョノン、美味しいよと勧めてくる。焼きあがった魚を見ていると、金目鯛が美味しいからそれにしろと言う。確かに大きくて美味しそうだった。金目鯛を注文して店内へ入った。

バンチャンより先に魚がきた。すぐ、ご飯とたくさんのバンチャンもきた。しじみスープがある。
釜山ではチェチョプクク(しじみ汁)の店にも行きたいと思っていた。只しじみを煮ただけのスープだった。何の味もない。これって自分で味を調整するのだろうけれど、健康的にそのまま飲んだ。タウリンたっぷりだ。
金目鯛は鯖なんかよりは淡泊だけれど独特の旨味がある。とても美味しく食べた。店を出ると、先ほどのアジュマが美味しかった?と話しかけてきた。17時30分頃になっていた。相変わらず市場は賑わっている。

西面に向った。ミリオレから地下街、『モッチャ横丁』辺りを歩こうと思っていた。ミリオレに入り、その横のホームプラスに入った。思っていた程には店内は広くないし、特に安くもないようだ。それでもあっちこっち見ていると、買って帰る物の組み立てがもう出来てしまった。
ホットッのミックスセットと冷麺のセットは絶対に買おうと思った。西面ロータリーから地下街に入った。
中央路を南へ真直ぐに伸びる地下街の入口にミシャがあった。ミシャには頼まれ物があったのだ。説明を聞いて何品か買った。南の端まで歩き、地上の屋台街を通り、駅まで戻る。

その後、宿に帰るよう釜山駅まで行き、ちょっと国鉄釜山駅に寄ってみた。明後日、荷物を置くロッカーを確認しておきたかったのだ。フェリー乗り場にはロッカーはなく預かり所だけで、それもべらぼうに高かったのだ。地下鉄駅にもいくつか有るが全てサイズが小さい。
釜山駅にはあった!1階に2ヵ所、2階に1ヵ所、大きいスーツケースでも入りそうなのが。

気を良くして線路脇の道をKALビルまで歩き、コンビニで買い物をして宿に帰った。
ハルモニがコップと水を持って来てくれた。何かと世話をやいてくれる。寒かったらこのSWを入れろとか言う。少し昔の話などを聞いた。
シャワーを浴びた後、しばらくTVを見ていた。チェジウが出ている、スターの恋人をやっていた。オンドルは暖かいのに、慣れてしまったベッドのヒーターを入れて寝た。


24  水営ヤリュの里を訪ねて

9時30分に宿を出て釜山駅まで歩いた。今日も1daypassを買った。いろんな街を見ようと思っている。プラットホームにある自販機のあの甘いコーヒーを飲んだ。
韓国に来て、自販機のカップコーヒーを何十杯飲んだだろうか。駅でも通りでもバス停にでも、とにかくどこにでもこの自販機はある。とても便利だし安い。300Wと400Wだ。普段はブラックばかりなのに、何故かこの旅ではミルク入りの甘いのばかりだ。

1号線、中洞駅で降りる。地上に出ると真上がEマートになっている。その奥の方には数十階のアパート群だ。通りに沿って歩き、高架橋の下をくぐるとロディオ・アウトレットがある。
大通りから中に入ると中央に通路がありその両側に店舗が並んでいる。規模は小さいが異国の雰囲気だ。大通りの方にマイクロバスが停まっていて、○○御一行様、と出ている。なんだ日本人か。ここも観光コースになっているのかな。
Eマートにも入ってみた。1階が衣料品・雑貨で地階が食品になっている。標準的な店舗だ。未だ客は少なく、従業員達が無駄話に興じている様子だ。

次にやって来たのは海雲台。
地上に出ると大通りを挟んで向かい側に国鉄の海雲台駅がある。駅から海の方へ真直ぐ歩く。海岸の通りに着くと、きれいな弓形になった通りに沿って大きなホテルが並んでいた。すぐ前が海岸だから便利なリゾート地なんだろう。景色もきれいな場所だ。ファストフードの店もレストランも多い。
通りの端で、車とバイクが停まっていて、取っ組み合いの喧嘩をやっていた。顔を怪我しているように見える。しばらく殴り合ったあと電話をしていた。ソウルでも同じ光景を見た。ちょっと日常的ではない出来事だった。
駅へ戻る途中に左側に市場があった。駅前には大きなショッピングセンターが2つ並んで建っている。

次に市立美術館駅で降りてみた。BEXCO(工芸品展示場)の大きな建物が目立つ。辺りは広い道路だけで何もない。地図を見ると、海側に釜山映画撮影スタジオがある。この向こう側のセンタムシティには韓国最大のショッピングセンターができる事にになっている。

広安里にも行こうと、広安駅で降りた。海雲台のような華やかさはない。駅前通りを海側へ歩いた。小さい商店がいくつか有るものの、道は真直ぐではなく、田舎町の雰囲気だ。それでも海岸通りはきれいに整備されている。ホテルもある。
ただ、海岸の遥か向こうを大きな橋が通っているではないか。ここで海水浴もないものだ。どうしてこんな自然がいっぱいの場所に自動車道路を通したのか不思議だ。
海岸沿いの遊歩道をしばらく歩くと、金蓮山駅への案内板があって、その三叉路にキンパッ天国があった。
お腹も空いたのでここでチョムシムにする。ソコギキンパッとラミョンを注文した。他に一組の客はいたが、二人のアジュマは暇そうだった。十分過ぎるほどコシ?のあるラミョンをすすった。

金蓮山駅までは400m、近かった。そこから水営駅まで戻る。水営は地下鉄2号線と3号線の乗り換え駅で、すぐ上は広い道路が三叉路になっている。北側は市場だ、そちらへ歩く。
私の目的は水営民俗芸術館。水営は仮面劇の里としても知られている。『水営野遊(スヨンヤリュ)』と呼ばれるこの伝統芸能は、この地に古くから伝わる仮面劇である。その文化を保存するのが水営民俗芸術館と言う事だろう。
市場の入り口にアーチがありタルの踊りが付いている。いかにも水営だ。市場を通り抜け聖堂横を真直ぐ行くと、小山が見えてきた。門があり、銅像が立っている。この辺り一帯は市民の憩いの場みたいだ。運動している人、囲碁を打ってる人、はたまた酒を飲んでいる人等さまざまに楽しんでいる。

少し登ると演舞場が見えてきた。すり鉢状の周りには観客席がある。二棟の建物があったので、上に位置する方に入ってみた。資料室があり、廊下には仮面の写真が飾ってある。ドアには鍵がかけられていて開かない。隣の事務室に入ると、珍客に驚いている様子だ。タルの展示を見せて欲しいと言ったが、言葉が十分に伝わらない。そうしたら、一人の学芸員らしきアジョッシが少し日本語を交えながら答えてくれた。でも、急に何事かと言う顔をしている。
ここではなく、下の建物のようだった。そして、そちらへ案内してくれ、鍵を開け入れてくれた。そこには仮面や踊りの写真等がいっぱい展示されていた。これらの仮面は地方によっていろんな顔があるのが楽しい。
この静寂な館内、周り一面のタルがこちらを眺めているような気がする。アジョッシも様子を見ながら付き添ってくれている。手を組んでじっと見ていると、踊りの情景が想像できた。楽器やざわめきが聞こえてきそうになる。

外に出ていろいろ話を伺った。しきりに今日は公演は無いと言う。そんな事は分かって来ているのだけど。どうも、わざわざ日本から来た者に見せてやりたいと思ってくれている様でもある。一人?一人か・・・と残念そうに言う。グループであれば何か起こったのかも知れない。旧暦の正月15日に海岸の方でお祭りがあるらしい。
その時にこの踊りをやると言ってる。ここじゃなく海岸の方、と執こく何度も言われた。広安里海岸らしい。

再び地下鉄に乗り門田駅まで来た。ここは広い空き地になっていて近くにEマートがあるだけだった。ここから西に歩けば、すぐ凡一洞の方に出られる。
そこから再び、西面駅へ行って買い物をする事にした。明日は宿を出たら、荷物はロッカーだし。ホームプラスで食品を買って荷造りしてしまおうと思ったのだ。
ミリオレ前のステージは賑やかに歌謡大会をやっていた。買い物で身動きが取れなくなった、重い。勿論、ホットッのセットやネンミョンも買った。そのまま釜山駅まで行って、宿に帰った。


25  釜山駅のロッカーは左手の親指で

今日は韓国の最終日だ。でも飛行機と違って夜の出発だから、まだまだ釜山歩きができる。18時までに乗船手続きをすれば良いのだ。
かなりリュックが膨らんでしまった。
釜山駅まで荷物を曳きながら歩く。このリュック、車輪が付いているタイプでかなり楽である。出かける前は、リュックを背負ってバッグパッカー気分で歩こうと思っていたけど、まだ一度もここに来ても背負った事が無い。車輪のお世話になりっぱなしだ。

国鉄釜山駅のロッカは大きい方も空いていた。1日2000Wだ。いくら膨らんでいてもすんなり入った。ところが、鍵が暗証番号と指紋認識になっているのだ。
しっかり説明は読んでやってるつもりなのに、ロックがかからない。日本人の指紋と分かるのか、指先も見てみたが汚れてもいない。これはもうヘルプだ。ちょうど職員らしき女性が通りがかった。尋ねると、いままでやっていた方法と同じなのだが、一つだけ違っていたのが、左手の親指だと言う事。私は右手の人差し指でやっていた。何の事はない、すんなりロックされたのだった。

手順はこうだ。@ロックキーを押す A使いたいロッカーの番号を入力 B左手親指を2回レーザーに当てるCお金を入れる Dレシートが出てくるので取る Eキーがロックされる。そして、このレシートに暗証番号が入っているので、指紋認証できない時に使う。ざっとこんな感じだ。ただ、この暗証番号は10桁もあるから指紋認証が間違い難いと思われる。

取りあえず荷物は片付いたので、又自由になった。地下鉄駅へ行き1daypassを買った。きょうは特に予定はなかった。ちょっと東莱の城壁の方にでも行ってみようかとは思っていた。
南浦洞で降りた。地下街の店はまだ殆ど開いていなかった。買うものは無いが薄暗い通路を歩いても仕方がない。上に出て、PIFF広場の方に歩いて行くと、警備員が指示棒を持って近づいて来た。
この辺りに知り合いはいない筈なのだが。するとその青年は訛りのある日本語で、日本人ですか?と言う。

普通に、海外では日本語で話しかけてくる人には注意が常識だ。アメリカへ出張していた頃はよく聞かされた。
何か、大阪に住んでいた事があるとか、親戚がいるとか、いろいろ言ってる。相槌をうちながら適当に聞いていたら、あそこのおじさんが昨日会ったらしいよ、と言うのだ。そんな事・・と思いながらも見ると、こっちを見ながら笑っているではないか。そうだった、昨日、水営の史跡公園のベンチに座っていてちょっと話をした人だった。
こんな一瞬通っただけでよく分かったものだ。それに驚いた。手を挙げて挨拶した。

国際市場の方もぶらっと歩いた。英語圏の白い色系の団体客が大勢いた。ガイドの説明に集まっている。それでは、と解散すると、みんな買い物に熱心だ。見ているのはタルチュムの仮面とか、チマチョゴリを着た人形とか、キーホルダーとか、いかにも土産物って感じの物ばっかりだ。そしてHow much?を連発している。
店の人はと言えば、軽くあしらってるように見える。聞かれる度に10ドルだ20ドルだ、と簡単な数字ばかりを並べているのだ。いかにもぼったくりのような価格を顔色一つ変えず言っている。これは商品を見るより人間観察の方が面白そうだ。

食事をする為に西面にやって来た。『テジクッパッ通り』で美味しいテジクッパッを食べようと思っていた。
ちょうどお昼時、11時過ぎだ。駅から屋台街を歩いて行く、露店もたくさん出ている。オセヨ!オセヨ!とあっちこっちの店から声がかかる。その中で一番大きい店に入った。未だ客は誰もいない。入口で調理をしている女性が3人だけだ。テジクッパッと一言だけ。店員さんも、当然って顔で去って行く。ただこの店、ペットボトルの水とコップ、おしぼりを持って来たのだ。これは珍しい。韓国におしぼりの文化があったのか。
しばらく待つと、熱々のテジクッパッとパンチャンが運ばれてきた。湯気の中に赤い調味料が見える。これを混ぜると辛いだろうな。そのままで食べてみた。味が無い。少しづつ混ぜて食べてみた。だんだん美味しくなっていく。結局全部混ぜて食べた。蒸し豚が感激する程たくさん入っている。鍋もそこそこ大きいので食事量はかなり多くなる。

食べ終えて支払いに行くと、レジの横に名刺が置いてあった。豊田食堂と書いてあるではないか。この店は以前メモしておいた所だ。200人位も入れそうな大きな店だった。

地下鉄に戻り、東莱に向う。ここを通る時に、電車から何度か見えた城壁に登ろうと思っている。地図は要らない、ただ見える方向へ歩く。
商店街を抜け住宅地に入ると迷路だった。他人の家に入ってしまいそうな、庭か路地だか分からないような狭い所をさ迷った。城壁が見える場所までやって来ると、高層のアパート群も一緒に見えた。
細い農道のような道を登って行くと真新しい城壁に出た。西将台と呼ばれる建物も復元されている。城壁をしばらく歩いてみた。
帰りは地下鉄、明倫洞の方へ下りて行った。坂道が平坦になった所に東莱郷校の建物があった。明倫洞は商業地になっている。
駅の向こう側はロッテデパートにロッテマート、シネマ、などショッピングとアミューズメント施設が集結している。駅からの連絡通路もある。
東莱は温泉場で有名だが、仮面劇、東莱野遊(トンネヤリュ)の里としても有名だ。勿論、その昔釜山が未だ小さな漁村であった頃、この地方の行政の中心地であった。

東莱を出て門田駅へ向かった。もうそろそろ買い物をして帰る準備をしなくては。Eマートに行った。食品と衣料品で少し買い物があった。
1階からエスカレーターに乗ると3階まで来てしまった。少し尋ねたい事があったので入口の店員さんに聞いてみたが、言葉が殆ど通じない。向こうも困っていて、トランシーバーで誰かを呼んでいるようだ。息をはずませてやって来たのは若い女性だった。何とか日本語が通じるが、かなり変な話し方をする。言葉の端々に、〜よぉ、とか、〜さぁ、とか入れるのだ。普通、客に〜さぁ、とかは使わない。どこで言葉を身につけたのか。でも一生懸命説明してくれた。

地下鉄の門田駅から西面駅で乗り換えて釜山駅に着いた。釜山駅のロッカーで荷物を出す。先ず、オープンボタンを押して、左手親指を当てると、カチャと音がした。追加料金はないから、そのまま鍵が開いたのだ。指紋がダメなら暗証番号もあったがよく出来ていると感心する。

荷物にはまた追加ができた。駅の前に広場がある。そこのベンチへ行って再び荷造りを行った。ここからフェリーターミナルまでは地下鉄の乗り降りを考えると、歩いた方が良いと判断。線路に沿って歩く事にした。しばらく歩いたが、苦になる距離でもなかった。

発券所で手続きをする。乗船時間は18時30分から50分までだと言われた。未だ1時間位間があった。パンを食べたり本を読んだりしながら待つ。待合所では、もう聞こえてくるのは日本語ばかりだ。定刻に乗船開始。手荷物チェックと出国審査を終えると、中には免税店があった。

部屋はまた102号室、下関から乗船したのと同じだった。このエリアに5名いる。仕切りの向こうは日本のアジュマだ。酒が入っているのか、かなり大声で騒いでいる。しばらくしてレストランが開いたような案内があった。早速行って、又かつ丼のチケットを買う。この船、ウォンは使えない。円高メリットもすでに終了していた。レストランの中に人は少い。ノートを取り出し思い出を綴った。
窓の外には釜山の灯りが見えた。




霧に煙る晋州橋。この日は辺り一面に霧が立ちこめ幻想的な景色になった。



晋州中央市場。かなり広い総合市場。農水産物が多い。



晋州中央市場。農楽部隊が市場の中でパフォーマンスを始めた。途端に辺りが騒がしくなった。



釜山はさすがに大都会だ。西部市外ターミナル付近。














チャガルチ市場内の魚屋。チャガルチ市場の建物の一つ。電球が眩しい。上の階は食堂になっている。



チャガルチから影島を眺める。島の周囲に高層アパートが建てられている。














中洞にあるロディオ・アウトレット。大通りから少し入る。



海雲台の海岸。きれいな長い砂浜がつづいている。背後にはホテルも多く国際的な観光スポットのようだ。


広安里の海岸。海岸の向こうに大きな橋があり、景観はとても悪い。





水営民俗芸術館。山台の周りにある観客席の後ろに建っている。

水営ヤリュ再現図。民俗芸術館にはたくさんの資料が展示されている。




四面モクチャゴルモク。テジクッパッの店が何軒も並ぶ。









東莱邑城址から見た東莱市街。『この城址は朝鮮時代、東莱府の行政中心地を取り囲んでいた邑城址である。丘陵地と平坦地を共に利用して積み上げた韓国の代表的な邑城であったが日帝時代に平地の城は撤去されて山地にのみ城郭の姿が残っている。』 と書かれていた。

明倫洞駅西側のショッピング街。ロッテデパート、ロッテマート、シネマ等がある。


釜山駅のロッカーは暗証番号か指紋でロックされるようになっている。これは番号の入ったレシート
 

 









@           A


 @ホットッのミックス。ドライイーストとシナモン
   シュガーが添付されている。
 Aアーモンド、胡桃、松の実、ハト麦等で
   作った粉末飲料

     ※西面のホームプラスで買った。
    
       
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