21  宝城の茶畑は冬の香り

9時に宿を出た。市外ターミナルまでは徒歩で15分程かかる。南原発順天行き9時25分に乗車。6700Wだ。天気は曇り、未だ雨は降っていない。田舎の一般道路を走る。
途中、谷城バスターミナルに入る。ここで乗客全員が降りてしまった。運転手も切符を取りに来て、その後バスから出て行ってしまった。
ちょっと外の空気を吸ってすぐ車内に戻る。置いていかれては大変だ。10時前に再び出発し、この後も、田舎道をゆっくりと南下して行く。

1時間後順天バスターミナルに着いた。ここはあいにくの雨だ。こうなると、ちょっと身動きが取れない。仕方なくターミナルのベンチで過ごす。
ロスタイムだ。しばらく様子を見てたが、どうも止む気配はない。仕方なく、雨の中宿探しに出かける。少し歩いては軒先で休み、近辺を一周した。ホテルと旅人宿の中間が見つからない。結局、またターミナルまで戻って来てしまった。

ターミナル前の路地の向こうに旅館が2軒見えた。ここだと近くて便利だ。2万Wだった。オンドルは暖かいし、大丈夫そうだったので2泊する事にした。荷物がなくなったら、雨が降ろうとどうにでもなる。

すぐさま順天駅へ向かう。明日のシティツアーの予約がしたい。
バスターミナル前の商店街を西へ歩くと大きな橋(順天橋)へ出た。北側には市街地が広がって見える。橋を渡ると国鉄の全羅線のレールが見えてきた。この路線、麗水国際万博に向けて複線電化工事が進んでいるようだ。しばらく歩きまた商店街へ入った。順天駅はそんなに遠くはなかった。
順天は鉄道の2路線が交差する重要な駅である。特に全羅線の麗水までは便数も多い。駅前はロータリーを随分広くとってある。そこから道路が放射線状に出ている感じだ。

観光案内所にはアジュマが一人いた。日本語も少し分かる。明日のシティツアーを申し込む。こんな時期だから殆ど客などいないと思っていたのに、もうあまり空席が残っていないようだ。明日のコースは9000Wらしい。歩き方には3000Wと書いてあったので意外だった。これは拝観料・入場料が込みになっているかららしい。でも、その方が便利だ。
明日は第2コース、松広寺が入っている方だ。今日は仙岩寺のコースで8000Wだったようだ。毎日交互に行っている。
名前と住所、電話番号を登録した。ついでに明日の天気を尋ねると電話で問い合わせてくれ、曇りだと言う。雨さえ降らなければ雪でもいいと思った。
日本語の観光用パンフレットを探していると、小冊子を取り出して、これは私用だけどあげると言う。何かちょっと惜しそうな素振りもあったのでお断りした。でも今度はどうしてもあげると言う。

宝城(ポソン)の事もこの際、教えてもらう事にした。実は市外バスターミナルで宝城行きが見当たらなかったのだ。それを心配していた。
木浦(モッポ)行きが停まると言う。それならいくらでもあった。

すぐ横の順天駅にも寄ってみた。右側に新しい駅舎が建築中だ。赤い鉄骨がもう出来上がっている。順天駅から宝城駅までは1日に5本しかない。これではちょっと使えない。
駅近くのキンパッの店に入りピビンパッを注文する。まだこの辛さがちょっと負担になる。ただ味噌汁は辛くない豆味噌だったので、何とか美味しく食べられた。
歩きながら、今日これから宝城へ行ってしまおうかと考えた。天気が悪くてここに居てもする事がない。
少しの雨なら大丈夫と思った。

市外ターミナルに戻ると、木浦方面は14時45分発になっている。あと5分しかない。すぐ切符を買った。
バスに乗る時にポソンに停まるか確認した。少し走ると陽がさしてきた。西の方は天気が回復してきているのだ。
20分位走って筏橋(ポルギョ)のターミナルに着いた。そこから更に走って15時40分、宝城ターミナルに着いた。随分小さな古めかしいターミナルだ。プラットホームにはこのバスの他に緑色の郡内バスが数台停まっていた。
アジョッシ2人が話しかけてきて親切に案内してくれる。ポソンタウォンと言ったら、中で切符を買ってこいと言う。窓口へ行くと切符と16:30と書いた紙をくれた。このカントリーバスは1000Wだ。前のは15時40分に出たみたいだ。ほんの一瞬で間に合わなかったみたいだ。
そうなると待ち時間がやたらと長い。天気は良くなったものの、この待ち時間は勿体ない、でもこの辺りには何も無さそうだ。仕方なくしばらく待った。
前に3台停まっていたバスの内1台がプラットホームに入って来た。宝城茶園(ポソンタウォン)行きを確認して乗り込んだ。このバス高校生が多い。途端に満席になった。途中からも大勢乗ってきて結構混雑しだした。

茶園のバス停に着くと、ここだと教えてくれた。そして、指をさしてあっちの坂を下って・・、と詳しく教えてくれた。何か、ドラマ夏の香りのロケ地を教えてくれたみたいだった。私は少し違っていた。夏の香りでもいいのだが、チョン・ドヨンのロケ地をイメージしていた。大学生らしき5,6人も降りた。真直ぐ前に広がる茶畑へ向かった。

山の斜面に茶畑が広がっている。茶畑に建っている店は閉まっていた。緑茶ソフトとか味わえる筈なのだが。周りの人達は写真を撮っている。私は茶園の中に入りてっぺんから谷底まで歩いた。かなりの急勾配だった。靴先に力がかかる。茶畑は冬色になっていた。新緑の頃の若葉とは程遠い。
濃い緑色だ。枝も剪定されて、木全体が小さい球状にまとめられている。谷底まで下りると、茶畑の向こう側に舗装された道があった。この道が先程のバス停付近まで続いているようだ。ここまで来ると上るのも大変だ。この道結構きつい坂になっているのだ。

上る途中で、スーツケースを曳いて若い男性が下りてきた。ロケ地を探しているようだ。下には何もないと言うと、また曳きながら後から上ってきている。荷物を持っていては余計に大変だ。
駐車場まで戻り、今度はロケ地の方へ行ってみた。

坂を少し下りると、夏の香りの案内板が見えた。そこを左へ入ると深い杉林なっていて、参道のような道がますぐ延びている。何人か前を歩いていた。ちょっと立ち止まって何やら写真を撮っているようだ。ここがロケ地なのか。
左に茶畑が見える。坂で会った男性がやってきた。茶畑をバックにしてシャッターを押して欲しいと頼まれた。辺りにフラッシュが光った。お決まりのポーズで2枚撮ってあげた。
そこから少し先に食堂らしき店があって、その先にはロケ現場がたくさんあるのだろうが、すでにもう薄暗くなっている。今日の行動は終了だ。

バスの通っている道へと坂を上っていると、駐車場からアジョッシが大きな声で何か叫んだ。よく分からないのでそのまま歩いていると、先ほどの男性が走って来て、バス停はそっちじゃないと教えてくれた。大声のアジョッシがそう言っていたみたいだった。ウリカッチカーヨ、一緒に行きましょうと言ってくれた。私は日頃、韓国を考える時、よくウリとカッチが重要な言葉と思ったりする。
道路の下をくぐるとバス停はすぐそこだった。その方とドラマと映画の話をしながら待った。話が盛り上がってきた時バスが来てしまった。先程とは違って今度はやたら待ち時間がない。
宝城に着いても順天行きのバスはすぐにあった。18時20分と30分。切符を買ってプラットホームに出ると、もうバスは停まっていた。男性は次の筏橋で降りた。地元の人のようではなかったので国鉄に乗って帰ったのだろうか。

順天バスターミナルに着いた後、コンビニで買い物をした。旅館は路地を入ったすぐのところだから近い。今日は宝城へ出かけて良かった。天気もすぐ回復したから。ひょっとして、一日が無駄になるところだった。


22  順天シティツアーバスでひとまわり

今日はツアーバスが9時50分だから、30分までには案内所の前に着いておこうと考えていた。
駅前まで歩き、ミニストップでパンとお茶を買って店内で食べた。その後、駅へ行ってコーヒーを飲んだ。とにかくこの近辺でいないと。40分になりインフォメーションの方に行くと、もうバスが着いていた。大きな観光バスである。側面にきれいな風景が描かれている。すでにかなりの人が乗っているようだ。
名前の確認があり、9000W払って乗り込んだ。もう席はかなり埋まっていた。

中央付近に座る。すぐ女性がツアーの乗車証を持ってきた。これを掛けて入場するみたいだ。その後、アンケート用紙が渡されて記入。名前、電話、性別、どこから来たか等だ。日本人はいないようだ。9時50分定刻に駅前を出発した。
ガイドの女性が挨拶し、コースの説明が始まった。愛と野望のセット場→松広寺→楽安邑城民俗村→順天湾 となっている。昨日と違って晴天だ、暖かい。上着が気温に合わなくなってきている。順天湾の夕日がきれいだろうと期待する。

10時2分早くもセット場に到着した。出発は10時45分と聞いて出かける。セット場は、1970年代の順天市内とソウルのタルトンネだ。映画のパネルの前で添乗員がかなり詳しく説明しているようだが、殆ど分からない。富川のセット場もそうだったが、日本の昭和の街の景観とオーバーラップしているように思う。
建物も同じようなものだし、店の看板はハングルが殆どなものの日本語表記もある。日帝時代の名残が感じられるのだ。
やはり強く印象に残るのはソウルのタルトンネ。急坂に小さい家が何とかへばりついているようだ。通路は狭く曲がりくねっている。いずれも貧しい街を再現している。
ただ、いくらかの争いは有ったのだろうが、貧しくとも人情豊かな生活が営まれていたのではないだろうか。
店も住居も小さく、狭い地域に凝縮されているので、ある面かなり効率的ではないか、とも思う。こんな魅力的な迷路をさ迷っていると時間が経つのを忘れそうだ。時計を見て一目散にバス目がけて下りて行った。

高速道路に入った。今度の松広寺遠そうだ。随分と山の中に入って行くようだ。辺り一面霧で煙っている。白樺林が続く。
私は久しくこんなバスツアーは経験がない。でも解説はあるし現地まで運んでくれるし、かなり効率が良い。これだけをバス乗り継ぎで回ると2日はかかる。ツアーもいいものだと思った。

11時20分到着した。ここの出発は1時30分だ。この間に食事もしないといけない。松広寺は深い山の中。霧が立ち込めていて空気がしっとりしている。参道の周りには、葉を落とした大きな木々が続いている。やはり参拝者は少ない。
山門を入ると数多くの伽藍が立ち並んでいる。ガイドの説明が延々と続く。私はよく聞き取れないから暇だ。

鐘楼の前まで来ると12時前だった。このタイミングには涙ぐましい努力の跡が。次々に楼閣を回りやっとこの時間ここに来た意味が分かった。
僧がやって来た。大きな鐘の前で合掌している。と、鐘を打ち始めたではないか。ご----ん。あ・・・腹に響く。体まで共振してしまいそうだ。重低音。これじゃオーディオマニアもかなわない。それに長い、鐘の震えがいつまでも止まらないのだ。
こんな間近で聞いたのは初めてだった。煩悩がすっ飛んで行った思いだ。ありがたいが、いつまでもここに居る事はできない。どうにかなりそうだ。

ここに来て思ったのだが、韓国の人は誰一人としてお寺で手を合わさないのだ。日本人はお寺でも神社でもはたまた道端のお地蔵さんまでも見かけるとすぐ合掌する。それにさい銭を置く、これも無い。文化の違いを感じた。

山門を出て、ぶらぶら歩いて下りて行った。鐘の振動の恩恵か、少しお腹が空いてきた。駐車場のツアーバスが見えてきた。食事はこの先の門前食堂街で、と言われていた。何軒もが軒を連ねていて、少ない客を奪い合っている。店頭にはみやげものも多い。どの店も同じだと悟ったので、一番愛想の良いお姉さんの店に招かれるまま入った。
簡単な物でと言えば、山菜ピビンパッを勧めてくれた。辛くないようと注文する。コチュジャンを減らすよう
言っている。初めて、ご飯が別になったピビンパッだった。確かにそう辛くはない。しかし一緒に出てきたテンジャンチゲが辛いのだ。バンチャンも多いが食べたくなかった。途中で海苔に甘辛いたれを付けたものを持って来てくれた。これは香ばしくて美味しい。私が日本人と分かると、こんにちわ、と厨房の中にいた女性が挨拶に来てくれた。
6000W払って出た。店先まで出て見送ってくれた。ただこの時、大変な間違いをしてしまう。チャルモゴッスミダ!(ごちそうさま)を、チャルモッケスミダ!(いただきます)と言ってしまったのだ。どうりで「ネー」の表情がちょっと違っていた。とっても恥ずかしかった。

バスに戻るとドアが開いていて、もう殆どの人が揃っているようであった。しばらく数人を待った後、1時35分に出発した。この辺りの田舎道を走っていると、伝統家屋の瓦屋根の集落をあちこちで見かける。全州にある、韓屋村の小型版にも見える。塀を作れば入場料が頂けそうだ。

楽安邑城(ナガンウプソン)民俗村に到着した。何と広い駐車場なんだろう。もうここは昔の質素な生活の面影は無いのか、それとも一大観光地なのか。
そんな思いで添乗員さんの後に続く。周りは石の城壁で囲まれている。この城壁村は高麗後期(1397年)に日本から侵入が有った為、土を盛って建てられた。その後石を築き城壁を作ったそうだ。

中央に東軒と言われる建物が堂々と建っている。ここは朝鮮王朝の時、地方の官庁として地方行政と訟事を取り扱ったところ。この中には当時の政治の様子が人形で再現されている。

そこへ、白い韓服を着たアジョッシが出てきて、長々と歴史を語り始めた。我々も直立で固唾を呑んで流暢な語りに聞き入っていたのだが。突然、そのアジョッシの携帯電話が鳴った。
ヨボセヨ・・・途端に場がしらけ、現在に戻ったのだった。

中央の広い通路の左側には、一面藁葺屋根の民家が広がっていた。この村には100世帯の家があり、1世帯当たり2,3の藁葺家屋と庭、小さな畑で構成されているようだ。その殆どが実際に生活しており、農業の他、民泊、食堂、みやげ店、工芸品を作ったりとかやっている。それなのに、どの民家も門戸が開いており、自由に中に入っ見る事ができるようになっているのだ。
意外と時間の経つのは早い。慌てて村内を歩いた。河回村よりは質素な感じがする。村内の通路もでこぼこだ。民泊と言っても家屋が小さい。どの部屋に泊まるのだろう。出口の城門まで来るとみやげもの店が有った。
客も少なくポンテギや菓子を買う人もいないようだ。駐車場の入口にはハルモニがテントで野菜や穀類を売っている。日差しは多少暖かいとは言え、ちじこまって身動きしない。何か買ってあげたいが、里芋や大根を買っても仕方がない。

バスに戻り、順天湾に向う。ここは夕日がきれいだと案内所で聞いていたのだが、野鳥の観察も楽しめるようだ。
干潟はヨシの原野だ。それにしても何て広いんだろう。
そして海辺まで出かけられる遊歩道が整備されている。サイクリングもできるようだ。レンタサイクルが山のように待機していた。
列車風になった3連結の乗り物がこの広い干潟を周るようにもなっている。ヨシの中の遊歩道を一周し満足した私は、少し早いが駐車場横のベンチに座ってコーヒーを飲んでいた。
ガイドの女性が、タソッシ!(5時)と言いに来た。ここではしっかり皆を集めないと、帰りが遅れるのだ。
所々で客を降ろし、駅前まで帰って来た。ガイドさんが挨拶をする。皆で拍手だ。
バスのステップを下りていると運転手が、さようなら!と言った。日本人だと知っていたようだ。

順天駅前から全羅線に沿って市外バスターミナルの方へ歩いた。すぐ横をムグンファ号のオレンジ色の車体が益山方向へ通り過ぎて行った。今日は無駄な時間がなく大変充実していた。のんびりした観光ツアーもなかなか良いものだ。

宿でしばらく休んだ後、夕食を兼ねて市庁側の市街地を歩いてみた。これと言った繁華街は見つけられなかった。



 
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  順天駅付近。全羅線の列車が通過しているところ
  ここでも複線電化の工事が始まっている



の工事が



の工事が







            宝城茶園 
    山の上から谷底まで茶畑が広がっている



          宝城茶園 
       ドラマ「夏の香り」のロケ地









の工事が


    順天セット場 70年代 順天市内のセット












           松広寺の仏像











   

     仁王像にあたる門番役



           楽安邑城民俗村
      みやげものを販売している民家


           楽安邑城民俗村
    この辺り一帯に藁葺き屋根の民家が広がる


         順天シティツアーバス
 1コース 「愛と野望」セット場→仙岩寺
       →楽安民俗村→順天湾   8000W
 2コース 「愛と野望」セット場→松広寺
       →楽安民俗村→順天湾   9000W
     ※入場料込み 約8時間 要予約