蘇州・無錫・紹興・上海を巡る旅 ⑤ | |
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1. 無錫へ高速鉄道Gで 蘇州近辺の移動には列車の時刻表が重要となる。そこで、娘が列車番号の入った時刻表をプリントしてくれた。これがあれば予約は無いものの自由に旅ができる筈だ。ただ、新幹線の自由席とか、在来線の新快速とか、あの便利さに慣れてしまっている者にとって、現在の中国鉄道は未だ不便だ。 今日もゆっくりの出発になった。市内バスで蘇州駅まで行って、高速鉄道のGに乗る。無錫(Wuxi)駅までGで17分から24分、ただDでも ![]() この列車はドイツ・シーメンス社系のもので、先頭車両の先端に特等座があり、料金は2等座の倍近い。スピードが絶えず表示されていて、この部分を特に重視しているのが分かる。350kmでの走行が多いようだ。(※温州の事故のあと300kmになった?) 薄暗くて長い通路をしばらく歩いて行くと、やっと汽車(バス)ターミナルに出た。 無錫駅は改装されて新しくなったばかりと言った感じ、とても大きくてきれいな駅だ。それにこの無錫市は、中国の中でも特に活気のある町の一つでもある。日系企業数は1000社とも言われ、特に注目の新区にも300社以上進出しており、大手企業の名前が並ぶ。日本からの直行便もある所以だ。 南側には大湖が広がり、農・水産業で栄えた。南京や北京、それに杭州ともつながる京杭大運河が通っている事もあり、多くの船が往来し重要な役割を果たしてきたようだ。 さて、その無錫駅だが、そんな立派な駅とは裏腹に、駅中や駅周辺には殆ど店がない。ただ、バスターミナル側に唯一、「肯徳基(ケンタッキー)」だけがあった。ここ無錫では素面を食べる予定はあるが、ちょっと食事がしたかったのだ。仕方なく(ただ、孫娘は喜んだが)入った。 2. 南禅寺文化商城をうろきょろ、素面をさがす 南禅寺は繁華街の中心を通る中山路の近くだから、路線は多いと思うが、バスターミナルからは南禅寺と書かれた150路を待った。薄暗い乗り場で、赤い文字の電光案内板にバスの位置情報が表示されている。少しずつ駅数と距離が減っていき、バスが現れた。 ![]() 商店街や辺りの景色を楽しんでいると、あっという間に着いてしまった。途中でJALのホテルが見えた。何故ここにと思ったが、やはり日系企業の多さなんだろう。このバスは、ここのターミナルでしばらく停まっているようだ。 大通りの向かい側に、屋根がついた大きな門が見えた。この屋根瓦、門も、南禅寺も、商城の中の建物も全て、四隅が跳ね上がっていて、先端が鋭く尖っている。中国独特の建築様式だ。それに規模は少し小さいものの、上海の豫園とよく似た雰囲気だ。地下街もありエスカレーターまでついていた。 ただ真夏の商城の中は猛烈に暑い。40度近くありそうだ。そんな事で通行人は少ないし、建物のヘリを選んで歩いている。 南禅寺に入り参拝した。この寺は547年に建立された、江南屈指の名刹だそうだ。ただ、造りは日本のお寺も同じようだから、中国にいるのを忘れてしまう。 でも、ここにはお寺の建物に鳩避けのネットが無いし、鳩が全くいない。日本じゃお城やお寺に鳩は付き物なのだが。どうも中国では、鳩はごちそうみたいだ。だから鳩だってのんきにはしていられない。 この無錫の南禅寺は素面が名物だそうで、京都の南禅寺は湯豆腐が名物だとか、TVの番組で聞いていた。だから、ここでは素面を食べる予定だ。どうも日本のソーメンと同じものらしい。 さがした・・・。この暑い中、あちこち歩き回ったし、方々で聞いたのだが。何と、誰もそんな事知らないのだ。じゃ、あの番組は何だったのだろう。上海潮流の無錫編。 確かに、「ここに来たら是非、素面を食べてみてください」、と言ってた筈なんだけど。『素面』の文字が入った小さな旗も見たし。でも仕方ない、もう諦めた、と言うか疲れたのだ。 そして素面をさがしている時、CoCoを見つけたのを思い出した。暑いし喉も乾いた、CoCoへ直行、珍珠奶茶(タピオカミルクティ)を注文した。ここには座る場所が無い。広場まで行って椅子に腰を下ろした。冷たい、うまい、このもちもち感、黒いタピオカがたっぷり入っている。 しばらくの間、この充実感に浸った後、やっぱり食事もする事にした。そして広場近くの小吃の店に入った。 3. 恵山泥人廠で工房見学 南禅寺を出る頃にはすでに16時になっていた。これはもう駅でバスを乗り継ぐような時間はない。急いで大通りへ出てタクシーを拾った。恵山の泥人形へと言ったが、どうもこの運転手は詳しくないようだ。携帯電話でずっと問い合わせていた。大通りをしばらく走り、京杭運河の大きな橋を渡った。そして工事中のような細い泥路へ入って止まり、「この前にある」、と言って引き返して行った。確かに車はあそこまでだろう。両側には無造作に掘り起こされた土の山が続いている。 ![]() この門をくぐると、すぐ作業場になっていて、何人かが絵付け作業中だった。写真撮影はOKらしい。ただ、このような細かい作業中は、なるべく邪魔にならないように、と気を遣う。恵山泥人形の由来とされる、阿福と阿喜の人形のような感じだ。この日の工房の中は、殆どこの縁起物の人形が作られている。 私は、天津の工房で買った、お気に入りの人形に近い物が欲しかった。と言うのも、あの可愛い古典劇に出てくる女性の人形、不注意にも落としてしまい、所々欠けてしまったのだ。 ![]() 工房の人に尋ねると、「今ちょうど、中国四大美人の人形は在庫が無いのです」、と言う。ちょっとがっかりだ。天津の人形とまではいかなくとも、よく似た感じのが欲しかったのに。お土産には喜ばれるらしい阿福と阿喜は買いたくなかった。 そうこうしていると、工房の従業員たちが一人二人と帰り始めた。17時30分、もうそんな時間になっていた。これはタクシーで来なかったら間に合っていなかったようだ。 泥人廠(ニーレンチャン)を出て、水路に沿った古い町並みを歩いた。所々で建物の修理や電気工事をやっていた。あと数年もすれば、すっかり景観が変わってしまうのではないだろうか。 ![]() その中で、泥人形を扱う店に入ってみた。棚にはたくさん並んでいるのだが、どうも気に入った顔が無い。四大美人は?と聞いてみたら指さしてくれた。楊貴妃に・・・、他は分からない。でも、その人形もちょっと想像していたものとは違う。買うのはやめた。しっかり見せてもらうだけにした。近くには泥人形の博物館もあったようだ。 その通りを抜けて車の多い広い道に出ると、大きな土産物店があり、泥人形の文字が見えたのでここにも入ってみた。2階にはきれいに展示された人形があり、土産物と一緒に売られていた。 ここからは、もうそんなに急ぐ事もないので、無錫駅行きのバスを待った。 4. またもやの肯徳基(ケンタッキー) 到着したバスターミナルから、広場のような通路を通って無錫駅へ歩いた。そして蘇州行きのG列車の切符を買う事ができた。どうも無錫駅は、北口と南口との距離がかなりあるみたいだ。市内バスは南口側で、高速鉄道は北側になっている。北側の新しいターミナルは高速鉄道の開通と共にできたようで、真新しくきれいだ。長距離バスターミナルも加え、それらが広い範囲に配置されているので移動にとても時間がかかる。しかも新駅の方には飲食店も売店も無く、現在はとても不便である。 もう一度引き返した。そして再びのケンタッキーへ入った。あまり涼しくないし、飲み物も氷が入ってなく冷たくない。スパイシーなバーガーを注文した。 列車の時間までゆっくりと過ごした。 蘇州に着いて、エスカレーターで地上へ上っていると、横にブルースリーのロゴのついた『真功夫』の店が見えた。ここの店でもよかったかも、と思った。 ![]() |