大邱

 大邱薬令市とタロクッパッ                                      6/29(火)

5時頃に目が覚めてしまった。リュックに荷物を詰め洗面を済ませ玄関へ。こんな早い時間なのに2人のアジョッシが出かける準備をしていた。さすがに今日はエレベーターを使って下りる。地下鉄駅までの道はすでに多くの人が動いていた。

韓国は標準時が日本と同じだから日の出はかなり遅くなる。それでも初夏だ、もうすっかり明るい。新亭駅には6時に着いた。

ソウル駅に着いて発券所へ行くと、7時20分発のムグンファ号があった。大邱駅まで買った。普通にテグまでと言って買えば、KTXで東大邱と思われる。今もそのように聞かれたので、ムグンファ号でテグ駅と強調した。

車内で駅弁を買おうと思っていたのに、なぜか今日は車内販売が来ない。隣の車両にスナック等の販売があるからだろうか。でも大丈夫、カバンの中にはパンと飲み物が入っている。

大邱は韓国で人口第4位の大都市だ。周りを平野に囲まれ農産物が豊富な所。交通の要衝でもあり昔から市場が発達していた。周辺には漢方薬の産地も多く王朝時代から薬令市が開かれてきた。そして名物のタロクッパッがある。

大邱駅は大きな駅舎だった。2階にある待合所も広く、売店の他にファストフードの店もある。駅ビルにはロッテデパートが入っていて、そのまま売り場の方にも行く事ができる。

待合所からエスカレーターで1階に下り、地下街の入口近くにある観光案内所へ行った。
コインロッカーの場所を聞くのと市街地図を貰う事。タロクッパッと薬令市についても聞いてみた。
地下街のコインロッカーは、大きいサイズが少なく空いているかどうか分からない、と言われる。
どこにでもあるコインロッカーに適応したバッグを選ぶべきだといつも思う。私のはほんの数センチで入らないのだ。
無理をして押し込めば何とかなるかも知れないが、ロッカーを壊してしまいそうで、入れないようにしている。
どこを旅しても、ちょっとロッカーに入れば、かなり旅が楽になる。サイズに注意ってところだ。

大邱駅前通りはきれいに整備された道になっていた。それに、こんなにも大都会なのに車の通行が少なく穏やかでゆったりした雰囲気の街だ。

中央路を南へ歩いて行くと、ちょうど地下鉄中央路駅の近くに元祖タロクッパッの店、クギルタロがある。
行列ができているようでもないし、外見も落ち着いた感じの店だった。
店内のテーブル席には数組の客がいた。扇風機の風が涼しい。
タロクッパッを注文した。辺りを見渡してどんな風に食べているのか観察する。

ソンジ(牛の血を固めたもの)が入っているのを知っていたから、ちょっと緊張する。
出てくるのに多少時間がかかった。汗が少し引きかけた頃に、熱いクッパッがやってきた。
ソンジは特に味もなく匂いも癖も感じなかった。

タロクッパッ・・クッパッだと忘れてそのまま汁物として食べてしまった。
クッパは最初からごはんを中に入れてくれてないと。
食べる直前に入れるのがいいのだろうが、日本では汁物にごはんを入れて食べる習慣があまりない。つい韓国にいる事を忘れてしまっていた。

でも、ひょっとして、私はこの食べ方が合ってたかも知れない。ご飯にみそ汁のようでもあり、十分美味しかった。
ソンジには抵抗もあったが平気で食べられた。それにタロクッパッは、ソンジも肉も野菜もたっぷり入ったスタミナ料理だった。

パッピンスの店中央路の交差点から更に南へ歩くと、向かい側にパッピンスの店が見えた。美味しそうなメニューがある。
すぐにでも食べたい心境だが、中央路を横断しなければならなず、ちょっと抵抗があった。再び戻ってくる時に食べようと思い諦めた。
そして、しばらく歩くと薬令市(ヤンニョンシ)の案内板が見えてきた。
この通りを右側へ入るようになっている。





大邱薬令市










中央路の案内板から薬令西門まで1km弱の間に漢方薬の専門店が軒を並べている。毎年5月に薬令市祭りがあるそうで、薬草

の展示とか伝統的漢方薬の体験とかいろんな行事が行われるようだ。この南側には平行して走る路地があり、こちらは漢方素材

を使って抽出する工程の小規模な工場が並んでいた。あの独特な漢方の香りが充満していて、歩きながら何だか体が元気になる

ように思えた。




暑い中、店を見ながら薬令市の通りをずっと歩いた。
西の端にはりっぱな薬令西門があり、その裾には漢方薬を調剤している人や漢方薬に因んだ像が置かれていた。

この門の向こうにある西門市場まで歩くつもりだったが、暑くてダメだ。門の日陰へ座り込んでしまった。辺りを見渡しても歩いている人など見かけない。
ここでUターンしよう、そう思った。
この薬令市の裏側にある路地を歩いて引き返す事にした。きっと何か発見できそうだと思った。

道幅は狭く生活感が漂っている通りだ。段々と漢方薬の匂いが強くなってきた。両側に漢方薬を抽出する釜を置いた小さい工場がある。工場と言っても自宅の台所を広くした程度なのだが。それでもピカピカのきれいな抽出釜が何機か設置されている。匂いはここからだった。
表通りには店舗が並び、裏通りは工場。この辺り一帯が漢方薬の町になっていたのだ。

通りをずっと歩いて行くと、この狭い路地は小さな市場になっている。足元は濡れていて歩き難い、庶民的な生鮮物の市場だ。
その中に祭事用のお供えを売ってる店があった。韓国の市場では必ず何軒かは見かける。トレーに盛り付けられた豪華な飾り物が店先まで並べられていた。

中央路まで戻り、大通りを渡ってヤシ通りも散策してみた。それから東城路の商店街を駅へ向かって歩く。ここまで来るとどっちを見ても人が多い。ここが大邱の繁華街の中心だ。ファッションの店が多い。それに若い人達が殆どだ。
この通りを北へどんどん歩いて行くと大邱駅が見えてきた。。
大邱は大都会なのに雑踏や喧騒感がない、なぜなのだろう。ゆったり時が流れているような街だ。

大邱駅に戻り時刻表を見た。15時56分海雲台行きと16時16分の釜山行きがあった。15時56分なら釜田で降りて釜田市場と西面。16時16分なら南浦洞とチャガルチか。
でも今日って帰る日だから、やはりフェリーターミナルに近い方がいい。釜山行きに乗る事にした。
出発までだいぶ時間はあったが、プラットホームに出て待つ事にした。ホームに下りると日差しが強くて暑い。少し離れたプラットホームから慶州方面行きの列車が発車して行った。
KTXが隣の線路を疾走して行く。このホームは地下鉄駅みたいに高くなっていないから車輪が見えスピード感が全く違う。吹き飛ばされそうな迫力だ。
私が乗るのはムグンファ号だから、今だと各停に近い。それでもKTXに乗って最速の旅をしようとは思わない。

大邱駅を出てしばらく走ると、所々でKTXの高架線路工事が見えた。
そして、一気に山間に入って行った。

釜山駅には18時前に着いた。フェリーが23時出航だから20時30分頃港に着いていればいいかと考えていた。

先ずは中央路の地下を横切り上海門まで。この一帯は外国人街だ。
久しぶりに”上海通り”と”ロシア人街”をぶらぶら歩いた。どちらも母国の食品を売っている店、みやげもの店、食堂などが並んでいる。
通りはきれいに飾りつけされていた。私はただ散策するだけだが、韓国の中で異文化を感じるのも楽しい事だ。

大通りは歩かず山側の道路を南浦洞の方へ歩いた。しばらくして見覚えのある路地に出た。すぐ下に40階段がある場所だ。
それから更に南へ、大庁路を横切り、飲食店やホテルが多い狭い路地を歩き、やっと光復路に出た。
釜山タワーのある龍頭山公園へはここからエスカレーターがある。ちょっとした人混みを楽しんで、チャガルチへ向かった。

露店が並んだ通り、いつも通行客が多い。ここには何度となくやって来ていた。露店のアジュマが活気のある呼び込みをしている。水浸しの通路を歩いて焼き魚店が並んだ一角に着いた。
店頭に焼き魚がたくさん盛り上げてある店に入る。
この通りでは焼き魚を注文すると太刀魚が一切れ余分に付いてくる。何ヶ所かで食べるとそんな事が分かってきた。パンチャンは苦手なものもあるが、焼き魚はとても美味しい。

お気に入りの魚を食べたところで、ぼちぼち港へ向かう事にした。
ここからフェリーターミナルまではそう遠くはない、大通りに沿って歩いて行った。

ところが、中央洞からフェリーターミナルの方へ入ると人通りがない。車も殆ど出入りしていないのだ。
そして、フェリー乗り場まで来ると、入り口は開いているものの中には誰もいなかった。
この事態は何なんだろう、全く思考が働かず、一瞬立ち止まってしまった。しばらく唖然として立っていると、どこから現れたのか、アジョッシが今日の船便は全部終わった、と言うのだ。
その時は、まさか乗船時間が19時までとは知らなかったので、アジョッシに航路がなくなったのかとか聞いた。
このフェリーは一度始まったもののすぐ休航になったいきさつがあったので、失礼ながらそう思ってしまった。
ところがアジョッシは韓国語で、もう乗船は終了したと言っているようだ。そして、ここから出発する全ての便はもう終わったと言った。

早く玄関を施錠したい様子のアジョッシに追い出されるようにそこを出た。
理由はどうであれ、今日フェリーに乗れない現実だけは認めざるを得なかった。
もう時間はどうでもよくなってしまった。仕方なくぶらぶら釜山駅の方へ歩いた。

釜山駅でセコマルフェリーに電話してみた。そうすると女性が、乗船時間については門司港で説明してあった筈だと言うのだ。でもそんなの聞いた覚えがなかった。それに,、そんな大切な事を忘れるとは思えない。そしてこのチケットはもう無効と言われた。その便に乗らなかったら普通はそうだ。
そして、チケットについては発行した門司の担当者に問い合わせて欲しい、と言われた。
いずれにせよ明日の話だ。今日は帰国する手段は何も無い。

それでも、こんな時って韓国で良かったと思った。若し、もっと遠くの国にいて、すぐ航空券が手に入らないようだと厄介だ。今回の件は私の不注意によるものだが、海外では日本の常識を適用しすぎると大変な事になる。

釜山駅より北側の路地を歩いて旅館を探した。5、6分経っただろうか、世宗荘と言うのがあった。玄関を入ると、窓口の奥でアジュマが横になっていた。リンを鳴らすとすぐ起きてきて、3万Wと言った。部屋は2FでPCがあった。古めかしいがSWを入れると動いた。表示はハングル、入力もハングルだった。YahooJapanにアクセスしてみると、円高が一段と進んでいて、当然株価も下げていた。韓国の活気を目の当たりにした後だけに、日本経済の先行きが懸念される。そしてサッカーも負けていた。

LANケーブルを挿し変えて自分のPCに切り替えた。
メールを書いたり、ネットでニュースを読んだ。
このオンドル部屋はエアコンが良く効いて涼しい。真ん中に薄い布団を敷いて寝た。








大邱駅2Fにある待合所。前方に出札所がある。



大邱駅からまっすぐ伸びる中央路。きれいに整備されている。


大邱駅から、大通りを南へ500m位歩くと、薬令市の案内板が見えてくる。ここが東側の入り口だ。











薬令市の西端にある薬令西門。この通りが漢方薬材でどれ程有名なのかが分かるようだ。


大邱の繁華街、東城路付近。暑いので人影もまばらだ。



大邱の繁華街の中心地。この辺りもきれいに整備されている。







釜山、40階段の上から。中段にアコーディオンを弾いている像が見える。前方には地下鉄中央洞駅がある。


光復路の商店街。夜になると賑やかなのだが。



光復路のエスカレーター入口。龍頭山公園や釜山タワーへはここから上る。


チャガルチ、焼き魚の店。


チケットホルダーの説明書き
乗船券を入れるホルダーには、確かによく見ると赤い字で乗船は19時までと書いてあった。23時出航がなぜ4時間も前の19時なのかは、この感覚に慣れなければ分からない、お役所仕事ですから。ただ、日本への航路なので日本語でも大きく表示しておいて欲しかった。

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