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朝ゆっくりしていたので昼頃になってやっと出かける事になった。木洞駅で地下鉄5号線に乗り、新吉駅で乗り換えて仁川へ向かう。 ![]() 新吉駅では一番南の端のホームまで移動して龍山急行の東仁川行きを待つ。すぐ横の線路をKTXやセマウル号が次々と埃を舞い上げて走り抜けて行く。 今日の東仁川での乗り換えはうまくいった。ここですぐ仁川行きが来なければ快速の龍山急行に乗った意味がないのだ。それにしても、この列車、なぜ終点の一駅手前で止まってしまうのか不思議だ。 ![]() 昨年は、工事中の駅と高架レールを見たが、出来上がっていた。勿論、昨秋が仁川世界都市博覧会だったからそれまでに完成しないと意味がないのだけれど。 チョッと興味はあったが、今日は暑いし平日だし、特に月尾島(ウォルミド)に行く用もないので乗るのはよした。 仁川駅は出口がはるか前方、長いプラットホームを歩いた。駅を出て、左側にある観光案内所に立ち寄ってみた。ここも特に用は無いのだが、地図でも貰ってチャジャンミョンや店の情報でも聞いてみようかと思って入った。おっと、ここは英語の返事が返ってきた。 牌楼をくぐって坂を登って行く。平日で人通りは少ないが、辺りの店の赤色が今まで以上に鮮やかできれいになっ ![]() テーブルには客の姿は無かった。チャジャンミョンを注文した。キムパッの店のメニューにもあったりするが、やはりこの中華街で食べたいこだわりがある。しばらく待つと、真っ黒なチャジャンミョンと玉ねぎに沢庵と黒味噌が出てきた。韓国の食堂でキムチが出ないのは珍しいが、やはりここは中華街なのだ。 最初の一口はこってりとした美味しさを感じ、それがだんだんと脂っこくなってきて、それでもどんどん食べていくと、今度はおかわりができそうな位の美味しさに変る。これが何とも不思議なチャジャンミョンの魅力だ。麺のコシもそれなりにある。 ![]() 食べながら思い出したのが、案内所でもらった中華街の地図。その中にハングルで書いてくれたコンファチュン(共和春)。どうもその店がチャジャンミョンの元祖らしいのだ。 仁川中華街で最も歴史があり、チャジャンミョンが生まれたのが共和春という事だ。創業当時の店は少し離れた所にあり、歴史的建造物と言う事もあって、今はチャジャンミョン博物館になっているようだ。 店を出て通りを右へ歩くと、店頭に小さなワゴンを置いて月餅を売っている店があった。 味は何種類もあるようではなかったので適当に1個だけ買った。それから少し歩き、今度は三国史壁画通りの坂を上った。三国志に登場する英雄や主要場面を紹介する壁画がずらりと並んでいる。 ここを上りきったら、右手に孔子像と昔の日・清租界地境界階段があった。 ![]() 木陰になった階段でしばらく休んだ。 人通りもなく静かだ。目の前の日本側租界地で、高校生がカメラを持ってあちこち忙しそうに写真を撮っていた。 そこには日本風の建物や銀行のビルなど、当時のまま残されているものもあり、写真を撮るには格好の場所なのだ。 その後、旧日本租界地を歩いたり、清側の租界地の建物を見たりしながらあちこち歩き回った。 ![]() 仁川駅に戻る頃には、くたくたになっていた。こんな時は、乗った電車の冷房が何よりのご馳走だ。 花平洞のネンミョン通りに行って、巨大な器に入ったムルネンミョンを食べたいとも思ったが、ちょっと今は無理だった。 お腹も空いてないし、この冷房からすぐには出られそうもない。 しばらく快適に過ごし、電車は富平(プピョン)駅で降りた。 富平の駅ビルはショッピングセンターになっている。線路を跨ぐ通路で南北がつながっているし、地下通路でも地下鉄駅から地下商店街へと続いていた。駅前は広々としている。正面には大通りが真っ直ぐ向こうへ、その少し先では東西の大通りとも交差していた。 駅前広場には地下通路からも出られるようになっている。たくさんの木々に囲まれた広場には所々にベンチが置いてあり、その日陰でアジョッシが大勢集まってシャンチーに興じていた。 そこの端にある地下鉄への連絡通路が、映画『猟奇的な彼女』の最初の印象的な部分のロケ地だ。 映画とは違って、今は殆ど通行人がいなくて、ひっそりとしていた。 彼女をおぶって、この辺りをさ迷うのだが、なかなか旅館とかモテルが見つからない。 私は駅前広場の左側にある線路に一番近い路地を歩いてみる。すると、この通りには宿屋はたくさんあるのだ。 ![]() これ程多いのも珍しい。 それにモテルや旅館もこの通りには何軒かある。 キョヌが捜して歩いた道はここではないのだろうか。駅より右側はこちら側とは雰囲気が違ってひっそりとしているから、そちらへ行ったのかも知れない。 駅前大通へ戻って真っ直ぐ歩いて行くと賑やかな商店街がずっと続いていた。地下街もその下にある。大きな交差点を左へ歩くと、アパート群の専用門へ出た。 その間、何も特徴的なものはなかった。 住宅地の路地へも入りぶらぶら歩いてみると、そこには庶民的な普通の生活があった。 しばらく歩いた後駅へ戻り、今度はこの駅ビルの反対側へ行ってみた。 こちらは車もあまり通らない住宅地のようで、所々に食堂や店舗がある程度だ。道端ではアジョッシがトラックを横付けし、果物を広げて売っていた。 その一角を抜けると線路と平行した大通りになっている。 ぐるっと回って再び駅へ戻った。駅ビルにはロッテマートが入っていて、ここでは客がいっぱい混みあっていた。入口でマネジャーらしき人が忙しそうに客の誘導と案内をしていた。 1号線の新吉から5号線に乗り換えて木洞で降りる。木洞駅か新亭駅かはその日の気分次第だ。あまり距離は変らないし、時々変化があった方が楽しいので色んな道を通っている。 大通りを曲がり、やすらぎへ帰る途中、左側の学校を通り過ぎた辺りに冷麺の店があった。ユチョンネンミョン。 ![]() 店内は広くてきれいな店だが、客が一人もいなくてちょっと心配だ。 ムルネンミョンを注文した。ポットと温かいお茶が出てきた。何かに使う物かとたずねたら、普通にお茶だと言われた。 この時期に冷麺と温かいお茶って何なんだろう。しかも保温ポットにまで入って。 ネンミョンは穏やかな味だ。こんな暑い日は、もう少しピリッとしていた方が美味しいかも知れない。食べながら、ビビンネンミョンにすれば良かったかなと思った。 やすらぎに帰って屋上に上がってみた。私がソウルに来るのは殆ど冬だから、ここの屋上に出られるとは知らなかった。テーブルが2台あって、何人かが話をしている。陽が沈んだ屋上は爽やかな風が吹いていて結構涼しい。部屋にいるよりこちらの方が快適だ。下を眺めると何と大通りの真上だった。この通りのずっと向こうが新亭ネゴリだ。屋上には鶏が2羽飼われていて、あちこち飛び回っている。 ![]() 海外経験が豊富な方との話はとっても楽しい。 アフリカはチンプンカンプンだが、東南アジアの話にたいへん興味がある。 お米の話で、アフリカの米には石がいっぱい入っているらしい。しかもそれが同じような色をしていて分かり難いのだそうだ。タイ米にはそれが少ないと言う事だ。 私も昔、ご飯の中の石を何度か噛んだ記憶がある。今ではそんなのは全くなくなってしまっているが。 みんな器用に食べて、骨の山だけ残していた。 しばらく話して部屋に戻った。 考えてみれば、夕食って冷麺しか食べてなかったから参鶏湯をいただいてちょうど良かった。今夜はもう出かけなくてもお腹は大丈夫だ。 |
![]() 仁川駅前に建つ中華街入口の第1牌楼。チャイナタウンのシンボル的存在だ。この坂を登って行くと、赤い看板や紅灯が中華街独特の雰囲気を醸し出している。 ![]() 三国志に登場する主人公たちの主要場面を描いた壁画の通り。大・小の画面が組み合わされて構成されている。150mもあるらしい。 ![]() 清国と日本の旧租界地境界に立つ孔子像。この境界の階段には、両側にお互いの国の石灯が置かれている。この写真では、右側が清国で左側が日本の租界地。 ![]() 富平駅のショッピングセンターと駅前広場。ロッテマートとかシネマなどが入っている駅ビルの商業施設。写真左側の広場は、木々に囲まれいくつかのベンチもあり、アジョッシがシャンチーなどで遊んでいた。 ![]() 富平駅前にある地下鉄連絡通路の入り口。映画では、初めて彼女に呼びつけられた場所。小説の方は呼び出されて旅館まで行く事になっているのだが。 ![]() 富平駅で降り、酔いつぶれた彼女をおんぶして歩き回り、やっと見つけた旅館に彼女を残し、電話番号を書いたメモを置いて出る。お昼前、彼女から電話で、すぐ出てきな!と呼び出される。 二人はスンデヘジャンクッの店へ。その後、彼女と別れてシンダンの家へ帰っていると又電話が鳴り、再び富平駅へ呼び出される。 お世話になったから一杯おごるわ。居酒屋で焼酎を立て続けに3杯飲んだ彼女は、机に頭をぶつけて気を失ってしまい、またキョヌが彼女をおんぶして昨夜の旅館へ。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
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