5  河回村の藁葺き家屋に泊まる

慶州市外バスターミナルから安東行き8時45分発のバスに乗る。乗客は全部で4人。のんびりしている。朝はパラパラ雨が降っていた。今日は少し暖かい。
高速道路には入らず、山越えの道を通って行くみたいだ。途中何ヶ所かに停まる乗合バスだ。永川バスターミナルで数人乗ってきた。永川は想像していたよりも小じんまりした町のようだ。
ここを出ると小川に沿って桜並木のきれいな道が続いている。
しばらくすると、このバス何故かゆっくり走るようになった。山間に近づき雪が降り出してきたみたいだ。
前を見ると、どの車もハザードランプをつけて走っている。道路が凍っているのだ。昨夜降った雨も凍っているみたいだ。それでもバスは乗用車を追い越して走り始めた。それなりの装備をしているのだろう。
山に入った。警察が道路に出て誘導している。さすがに坂道は、いつもはすっ飛ばす韓国のドライバーでも恐いらしい。

途中、何ヶ所かで乗客が乗り降りを繰り返し、やっと安東バスターミナルに着いた。
こちらは雨が降ったみたいで、雪が溶けて歩き難い。リュックを曳いているから水のない所を探しながら歩く。
待合所の中は雑然としていた。かなり古いターミナルだ。それでも観光地だから路線網は多いようだ。ところが、春川行を探してみたが見つからない。江原道への便は少ないのか。
売店には鯖の絵のついた袋が目につく。ここはカンコドゥンオ(塩鯖)が有名なのだ。お土産用によく売れるのだろう。
安東駅の方へ向って歩くと、今度はアイスバーン状態だ。滑って歩けない。駅員が砂をまいている。その砂の上だけが歩ける道に変わる。雨のあと気温が急激に下がってきたみたいだ。

駅前広場の横に観光案内所があった。地図を貰い河回村について尋ねた。村行きのバス停は市外ターミナルから大通りを挟んだすぐ前にある事、今日は村入口の1km位手前で降り、そこからシャトルバスに乗って行く事など。
休日には観光客の車を締め出すみたいだ。その手前のゲートで入村料を払って入るらしい。ただ平日は村の中までバスは入ると言う事だった。
民泊はたくさんあるから探せば大丈夫で、3万から4万ウォンが相場とか。地図の入ったバスの時刻表を貰った。日本語を流暢に話すし親切な案内所に大満足する。
セブンイレブンでコーン茶を買って小銭を作る。その後ちょっとバス停の後ろの街を歩いてみた。
旅人宿とか旅館もこの辺りに何軒か見つかった。カンコドゥンオの看板もたくさん見える。バス停近くにキンパッ天国があったが、昼ごはんを食べる程の時間はなかった。

14時5分発のバスに乗り『河回村』、へ向かう。車内は空いていた。先程買ったコーン茶を飲みながら餅を食べた。何か非常食を食べてる感じだ。
安東の市街地からはかなり離れていて、30分以上かかったようだ。終点で降りると丸いブルーのチケットをくれた。これがシャトルバスの切符らしいのだ。帰りのは、と聞くと、要らないと言う。
村入口で2000W払うと地図入り案内書の日本語版をくれた。よく感心するのだが、何も話していないのに日本人と見分ける。どうしてなんだろう。

村に入って散策する。所々民泊の大きな看板が目立つ。食堂を兼営している家も多い。さりげなく板にメニューを書いてある。
周りをぐるっと川に囲まれた村だ。良洞と違って、多少の起伏はあるものの平地になっている。畑もこの時期は土が凍って作物はないみたい、と思っていたら唐辛子が生えていて実のなっているのが見えた。
瓦屋根の伝統家屋に藁葺きの民家がたくさんある。村の中心部は家が密集している感じだ。ここにも原風景の美しさがある。辺りは静寂の世界。のんびり時間がながれている、そんな感じのする村だ。

ぐるり回って中心部へ戻ってきた。これからは民泊を探さないといけない。
一軒入ってみた。サマヌォンと言う。ちょっと高い。歩いていると、バスが着いた所へ客引きにでも行ってたようなアジュマが帰りがてら声をかけてきた。いくらか尋ねるとサムマンオーチョヌォンと言う。まあまあだ。でももう一軒聞きたかった。
村入口の案内板に近い辺りに、大きな看板のかかった、カムナムチブと書かれた民泊があった。
門を入ると、アジョッシがいた。泊まるのか聞いてきた。いくらか尋ねると、サムマヌォンと言う。これだとOKだ。

庭に面した、藁葺き屋根の部屋に案内してくれた。覗いてみた。中はオンドルが効いてて凄く暖かい。壁は固い土壁のようである。床はオンドル特有のつるつるだ。


厚い土壁の部屋とコドゥンオの食事入口に寝具が何組か置いてある。TVもあった。
伝統的な民家なのでシャワーとトイレは母屋にある。
紙貼りの格子戸をあけ入ってみた。靴は入口に置くので、誰かが部屋に居るかよく分かる。
外に出る用にサンダルが置いてくれてある。座ってTVをつけた。
韓国の高速道路で事故が多発していたみたいだ。今日の道路は雪の影響が大きかったのだろう。
しばらくすると、アジュマが食事もできると言ってきた。日本語のメニューを渡された。しっかり

この文化に入り込んでいたつもりなのに、ちょっと興ざめかも。やはりハングル文字が良かった。
ここは安東だから、カンコドゥンオを食べなくては。
待つ事、数十分。大きなトレイにのった焼き魚にバンチャン、お茶などが運ばれてきた。何とご飯が2個付いている。
お腹が空いているから嬉しい。コドゥンオは最高に美味しい。テンジャンチゲも味が濃くてなかなかのいい感じだ。
味噌は大きい粒の入った豆味噌、風味がいい。豆の煮物は少し硬い目だ、これがこちら流か。餅に入ってたのと似ている。随分美味しい食事だった。


ただ食事が済んだら暇だ。TVを見るしかない。出かける訳にもいかないし、シャワーは寒そうだ。
蒲団を敷いてみた。床はぽかぽか、温かく眠れそうである。
ドラマを見て過ごした。さんまときむたくが出ていた。字幕は要らないのに出る。韓国ドラマは要るのに出ない。
部屋の隅にオンドルの調整パネルが付いている。やっぱり温水なんだ。母屋の庭側の焚口ではアジュマが木を燃やしている。こちらは昔からの煙のオンドルなのか。
TVを消すと、不気味なほど何の音もしない、静寂そのものだ。こんな世界は久しぶりだった。私の住む田舎町でもこの静けさとは違う。耳には聞こえないが、何かざわめいたものがある。


6  コケコッコーで目が覚める

ニワトリの、けたたましい鳴き声で目が覚めた。コケコッコー、コケコッコー・・・と、いつまでも鳴いている。未だ5時半だ。かんべんしてよと思う。その後、計ったように30分したら鳴き止んだ。
うとうとしていると、7時にまた、けたたましく鳴き出した。まるでスヌーズ機能付きの目覚まし時計じゃないか。
ニワトリってこんなのだったのか昔を振り返って思い出してみた。
こちらの7時は未だ暗い。都会では車が動き出し仕事が始まる。でもここは全く気配はない。物音ひとつしない。
ニワトリだけが頑張っているのだ。
これだけ鳴かれれば、今度は完全に目が覚めた。母屋にあるトイレに行った。洗面所は外の蛇口だ。この種の農家は、殆どこのような造りになっている。
昔は、トイレは別棟で母屋から離れていた。良い家柄程遠くになっているそうだ。それで、夜の小用のために部屋には壺が置かれていたとか聞いた。

ちょっと散歩がてらぶらぶら歩く。芙蓉台が見える桜並木の土手までやってきた。川岸は凍っている。遊戯広場まで歩いて、今度は村の中を通って民泊に戻った。
アジョッシが庭で何か家の雑用をやっていた。挨拶をして部屋に入る。暖かい。
しばらく休憩した後、寝具を片づけ荷物を用意した。出発予定の時間がきたので庭に出てアジュマにも挨拶をした。
今日は安東市内までまで戻り、安東民俗村に行く計画なのだ。

バスは9時50分発だった。平日なので村内まで入ってくる日だったが、タルチュムの山台を見るために案内所のある所まで歩く。今回は冬季の旅なので、タルチュムを見る事はできない。村にはこれを見るために訪れる人も多いのだが。
バスは定刻にやってきた。すでにかなりの客が乗っていた。

安東駅前で降り、キンパッ天国に入った。お決まりのソコギキンパッとトッラミョンを食べた。後は宿探しだ。この店の後ろ側の繁華街の方へ歩いて行く。
賑わいはないものの開いている店もある。大通りから2ブロック離れた通りまで来ると、旅館が2軒並んでいた。その一軒に入ってみた。イーマヌォンと言うので、ここに決めた。駅からも近く便利だ。
部屋はオンドルがよく効いていて暖かい。バスタブも付いている。荷物を置いて、早速民俗村へ出かける事にした。
昨日の乗り場で3番(安東ダム行)のバスを待つ。11時25分発になっていた。河回村行きと同じ時刻だった。

ここで、バッグを背負った日本人の方に会った。と言うか、最初は日本人だと分からなかったので、変な韓国語で話しかけてみた。少し話していると、河回村行きのバスが来た。彼は乗り込んで行ったが、私のバスが来ない。
キョロキョロしながら待っていると、突然バスからその方が降りてきて、安東ダムは方向から考えて道路の反対側じゃないか、と教えてくれた。確かにそうだ、駅側の方の気がした。もう時刻を過ぎていた。慌てて行ってみたが、出発していたみたいだ。
次は12時5分だった。シムシメソ、駅へ行って、自販機でコーヒーを飲んだ。何度も飲んでいる甘いカップ入りだ。

バスは定刻に到着した。運転手に安東民俗村に行くか確認して乗った。客は一人だけだった。一番前の席で景色を眺めながら自家用車気分を味わった。
街を出てループ状の道を過ぎしばらく走ると、右手に大きなダム湖が見えてきた。人も建物も少ない。
何だか寒々しい所だ。
湖に架かる大きな橋を渡ると、バスが停まった。運転手がドアの向こうを指さして、入口を教えてくれた。
ここの民俗村も敷地はかなり広い。中心部へ登る急な坂道は全面凍結していた。
砂をまいてある箇所しか歩けない状態だ。しかし、その砂もほんの一部だけだった。

でも急ぐ事もないのだ。宿も決まっているし、天気は良い。のんびり過去の世界に浸ろう、そう考えた。
そして、その急坂の端を、滑らないよう崖につかまったり、塀につかまったりしながら、一歩一歩登ったのだった。建物はダム建設時に移築したものだから、ここに人は住んでいない。
中に入って当時の生活をうかがい知る事ができるのだ。伝統家屋も藁葺屋根の民家も、丁寧に見て歩いた。

この坂の上にはKBSのドラマセット場がある。門をくぐると広がる山間の空間に、大きな屋敷や民家が再現されていた。撮影時のざわめきが聞こえてきそうな雰囲気だ。

そしてまた、おずおずと辺りの物につかまりながら下って行った。
この坂道、凍っているとは知らずに何台もの車が引き返して行ったのだが、凄い人もいる。ほんの少しの砂を頼りに下って行くではないか。
その無鉄砲さ、信じられなかった。滑り落ちればダム湖の中だ。

バス停近く、湖の右側に安東民俗博物館がある。
儒教文化の世界がよく分かる。生活シーンを人形で再現している。ただ上流社会のものが殆どで庶民の生活は分からないのだ。私は瓦屋根より藁葺き屋根の方に興味があった。展示物は多かった。ここでも、ゆっくり民俗文化を学んだ。

駅前までバスに乗り、再び案内所へ行った。明日の、春川へ行く準備だ。
バスは春川行きがなかった。原州か堤川で乗り換えみたいだ。とにかく江原道へ入らなければ。そこで、原州まで行く事にした。バスより列車の方が安くて時間もかなり短縮できると言う。料金はほぼ半額だ。
ただ原州でバスターミナルと国鉄駅はだいぶ離れているらしいのだ。久しぶりにムグンファ号にも乗りたかったし、景勝地で名高い丹陽も通る。列車にしようと決めた。
時刻をメモして渡してくれた。

一旦宿に帰り、バッグを置いて街の散策と食事に出かける事にする。
アーチが延々と続く通りは焼き肉通りなのか、焼き肉店ばかりが数十軒も並んでいるみたいだ。誰がそんなに食べるのだろう。また余計な心配をしてしまう。
夕暮れの街は、通りは明るいものの人影はまばらだ。市外バスターミナル近くにあった焼きサバの店を思い出した。
カンコドゥンオ、注文した。いままでのものより一回り大きそうなトレイに載って運ばれてきた。パリパリに焼かれたコドゥンオは骨まで食べられる。とっても美味しい。
また少し街を散策し、コンビニでコーラとクラッカー等を買って宿に戻った。
この宿、とっても騒がしい。笑い声やら音楽やらゴトゴト音が途切れない。
結局、朝5時頃にやっと静かになった、と言うか、その時に目が覚めたら、まだ話し声がしていて後で静かになったのだが。どうも階上で何やら店をやっているみたいだった。
オンドルは暖かいし安いがちょっとした落とし穴があったのだ。



                        
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慶州から安東へ向うバスからの風景。しばらく辺りは古墳が続く。

















河回村の民家、この藁葺き屋根に泊まる。村の入り口に近い場所にある。


          安東の鯖街道
東海のヨンドック、カングから安東へ運ばれた鯖は、ここでしっかり塩蔵加工され、都の王に献上されたそうだ。安東のコドゥンオ加工技術が育った所以だろう。京都と小浜を結ぶ鯖街道と類似している。
小浜には商店街の中に起点を示すプレートがあり、私も行ってみた。串に刺したやき鯖があった。他にもこの若狭には、鯖のへしこ、焼き鯖寿司とかもある。韓国の鯖街道も歩いてみたいものだと思っている。




窓は木枠に紙貼りだ。鍵は2個の金属リング。上を止め、中央のリングをかけるとびくともしない。




安東河回村は豊山柳氏が600余年間代々暮らしてきた韓国を代表する同姓村で、藁葺きと瓦葺きの家々が悠久の歴史の中でも良好の状態で保存されてきました。
河回村という村の名前は洛東江がS字型に村を囲むように流れていることに由来しています。
村の東方には太白山から連なる海抜271mの花山があり、その花山の裾野が丘を形成し村の西方端まで続きます。
河回村の家々では三神堂という欅を中心に川に向って配置されているため、家々の向きが一定ではありません。また大きな瓦屋根の家々を周辺の藁葺屋根が円形に囲むように配置されているという点が特異です。
    (安東河回村観光パンフレットより)





























タルチュムの里。河回別神クッ仮面踊り。元々は神様のために正月、村を歩き回り行ったものらしい。
支配階級の両班と儒学者を風刺したり、堕落した僧侶を描いたりした物語になっている。韓国語であっても見ているだけで分かるようだ。





安東民俗村は、ダムに水没する伝統家屋や民家を移築して作り上げたものらしい。だからムラとしての歴史的価値は少ない。ただ家々はきれいに保存されているので中を見て当時の生活を知る事ができる。

  バスターミナル近くの店で食べたコドゥンオ定食