14  仁川の中華街でチャジャンミョンに舌鼓

10時に宿を出た。5号線新亭駅から乗る。新吉で1号線に乗り換え仁川へ向かう予定である。
南の天安と西の仁川へは龍山急行が走っている。日本であれば快速の事だろう。新吉のホームは東の端。KTXとかセマウル号が走るレールのすぐ横である。各駅停車は次々到着するが、ラピッドはなかなか来ない。隣の線路をKTXが疾走して行く。低い塀は有るにしても、何か不思議な感じがする。

龍山急行は停車駅も少なく快適な電車である。ただ東仁川駅が終点なので仁川駅へは乗り換えとなる。この乗り換え時間が長いようだと、ラピッドの意味が無くなってしまうのだ。新吉では多かった乗客も朱安まで来るとだいぶ減って席が空いてきた。

仁川には中華街がある。二度目となる。今回はチャジャンミョンを食べる事と、旧日本の租界地を歩く事、それにネンミョン通りにも行く予定だ。

先ず駅前の観光案内所へ寄って仁川市内の地図とパンフレットを貰った。そしてチャジャンミョンの有名店、紫禁城の事も聞いてみた。
ソルラルなので開いているかどうか心配していたが、電話で確認してくれた。開いているらしい。案内所の方はポンド(本土)と言う店も紹介してくれた。

駅正面の中華門をくぐり坂道を上って行く。周りは中華街独特の赤い雰囲気に囲まれている。階段の所まで上りきって交差点を右へ曲がるとレストランが並んでいる一角がある。その中にあった。漢字で紫禁城と出ている。韓国名はチャクムソンだ。
辺りはどの店も入り口に1人づつ男性が立って、客引きをやっている。これだけ多いと競争もあるのだろう。

店内に入ると何組かのテーブルが埋まっていた。お正月だからちょっと豪華だ。こちらはと言えば、チャジャンミョンだ。でも前のテーブルの男性もチャジャンミョンを食べている。それを見てちょっと安心する。しばらく待つと、真黒なチャジャンミョンが出て来た。
見た目には美味しそうではない。初めての人なら引いてしまうかも知れない。韓国であってもここは中華街だから、麺をハサミで切ったりはしないようだ。
箸は中華の白いもの。麺とソースを絡めるべく一生懸命混ぜた。それにしても具だくさんだ。ただ、口へ運ぶのが難しい。麺に具をのせて一気に食べなければならない。
ハヤシライスソースのフレーバが違う感じの味わいだ。美味しい。麺もコシがある。ソースも好きな味だ。山盛りあったように思っていたのに、ペロリと食べてしまった。下に残った具も箸でつっ突いて食べた。
玉ねぎのカットは黒いゴマだれをつけて食べてみた。バンチャンはシンプルだ、韓国風ではない。
韓国料理も美味しいが、まっとりと辛くない中華の味も格別だ。

この店を出て、今度は階段下の中国製菓へ行く。美味しそうな月餅があるのだ。何種類あるのだろう。文字は読めても中身は分からない。
実は、前に来た時食べたかったのである。ガラスケースの中にたくさん並んでいる。芒果のを1個買ってみた。
中央の坂道を上って行くと展望台が見えた。階段は落書きだらけになっているが、眺めは良い。国際空港の方もよく見える。右へ進むと広い駐車場になっている。売店の前で老人が日向ぼっこをしていた。
私もベンチに腰掛けて月餅を食べた。天気も良く暖かくていい日だ。

租界地境界階段はこのすぐ下にあった。ここの階段を基準として、西が清国租界、東が日本租界だった。現在もその名残で、左の仁川駅側には中華街、右側には日本風建物が並ぶ歴史文化の街になっている。日本側の街並みの中には、当時の銀行の建物などが何棟か残っている。何ブロックか散策した。歴史を感じるいい場所だ。

歴史文化街を真直ぐ進み、大通りを左へ曲がると東仁川駅に続く道路に出た。その通りをしばらく歩くと新浦洞市場があった。
入口の店が大繁盛している。それに数十メートル入った行った所にも同じような物を売っていて、そこにも客が並んでいる。
何に行列が出来ているのか見ると、唐揚げを鍋に入れて捏ねながらタレをまぶしているようだ。確かにとても美味しそうに見える。少し食べてみたいのだがひと切れは売ってくれそうもない。
この大通りの下は地下街になっていた。暖かく快適だ。東仁川駅まで歩いた。駅の商店街は全部閉まっていた。

東仁川駅から15番のバスに乗って月尾島(ウォルミド)へ向かった。仁川ではT-monycardが使えるから便利だ、バスもスムーズに乗れる。
月尾島の文化通りは賑わっていた。遊園地の中みたいだ。風はあるがそう寒くはない。ただ海際,はモノレールと照明用の支柱の工事で掘り返され、無残な姿になってしまっていた。
今年開催される仁川国際都市博覧会に向けての準備なのだろう。モノレール駅もだいぶ出来上がっている。岸壁からは空港島へ向かうフェリーと遊覧船が次々と発着していた。向こうの広場では歌謡ショーをやっている。やたらと音が大きい。周りに大勢の人垣が出来ていた。

東仁川駅へ戻り、花平洞へ向う。駅から北へ少し歩き線路をくぐると左手に案内が見えた。花平洞冷麺通りだ。確かに冷麺屋がずっと向こうまで続いている。どの位の店があるのか、どの店が美味しいのかよく分からない。端まで歩いてみた。15軒もあっただろうか。どの店も美味しそうだし、TV局の取材の様子を大きく掲示している。韓国の飲食店はこんな取材があった事を自慢するようだ。それが店格につながるのかも知れないが。
花平洞ハルモニネンミョン







ハルモニネンミョン、お婆ちゃんの店ってところか。店名の上に大きな祖母の顔の入った看板が出ている。その店に決めた。店内に客が多かったのと、その祖母が美味しいのを作ってくれそうに見えたのだ。
メニューはピビンネンミョンとムルネンミョンだ。ムルネンミョン!と言った。ピビンネンミョンも美味しいが辛い。穏やかな味を選んだ。出てきたのは、まるで洗面器みたいな大きい器だった。
麺を盛りあげた上にコチュジャンがのっている。汁も赤い。何か辛そうではないか。透明な汁をイメージしていた。青菜の入った皿の上に鋏が置かれている。自分で適当に切って食べろ、と言う事なんだろう。5回位鋏を入れてみた。灰色の韓国の麺だ。よく混ぜて食べた。見た目程辛くない、とても美味しい。
器の中には氷が浮かんでいた。外は雪が残っているこの時期だ。そこまでサービスしてくれなくても。大根やきゅうりの細切り、青菜、ゆで卵が中から次々に出てくる。赤く濁った汁なので、中が全く見えないのだ。

韓国では冷麺は冬のものだと聞くが、店から外に出たら急に寒くなった。
ガードをくぐって少し歩き地下へ入る。地下街の中はぽかぽか暖かい。こうなると外に出たくなくなってしまう。つい用もないのに新浦洞の方へ歩いた。ずいぶんと長い商店街が続いている。体を温めるには持って来いだ。

7時過ぎに龍山急行に乗った。新吉駅の乗り換え通路には店が少し開いていた。露店も出ていた。
ソルラルの休みも今日までなのだ。宿に着いて、PCのSWを入れた。


15  富川で昭和初期の情緒を味わう

10時に宿を出た。お正月も開けて、さすが普段の生活に戻ったように見える。
新亭から新吉へ出て、1号線の松内(ソンネ)駅へ向かう。今日は富川(プチョン)セット場の予定だ。松内駅に着いたら、もう12時になっていた。
駅前は、正面に広い通りが伸びていて、すぐ横に市内バスの乗り場がある。何本かの誘導路が半円に曲がっている。開発された新しい街のようだ。右手のデパートらしき建物に入ってみた。奥に広いフードコートがあった。
でも客が殆どいない。チゲとかのメニューが多い。入口にあったロッテリアに行ってホットドッグを食べた。今日も天気は良く日差しが暖かい。天気予報では0度の6度とかだった。

バス停で富川ファンタスティックスタジオ行きを調べる。
路線図にセットゥジャンの文字があった。5−2だ。しばらくしてバスは来た。慌てて1000W札を入れ、乗った後で運転手に聞いてみた。セットゥジャン、カヨ?そうすると違うと言うのだ。同じ5−2でも、もう2つ向こうの乗り場だと言っている。と言う事は、今入れた1000W札を取り戻さねば。料金箱に手を突っ込んだがどうしても届かない。
チラッと運転手を見ると、オーマイガッ!のポーズをしているではないか。結局、呆れた顔で両替用の硬貨を出してくれた。
5−2なのにどう違うのだろう。もう一度路線図を見ると、変にクロスしてループになっている。ひょっとして逆向きだったのか。言われた乗り場にやってきた5−2は、セットゥジャンに行くと言うので、お金を入れて乗った。

あっちこっち曲がりくねって走ったバスが、それらしき雰囲気の場所に来た。何も合図していないのに停まって、ここだと言ってる。そして、あそこが入口だと親切に教えてくれた。
入口で3000W払った。客の姿などどこにもない。ゲートの女性が退屈そうな顔で、この久しぶりの客を見ている。暗いトンネルのような所を抜けて行くと、目の前には昭和初期の景色が広がっていた

園内にも客は誰もいなかった。時折、従業員のアジョッシが見回りにくる。お正月明けの平日だから仕方がないのだろう。それにしても誰もいないと、景観までもが寒々しく映る。
日本統治時代から朝鮮戦争後の数十年あたりの再現であろうか。日本の昔の街並みそのもののような気がする。銀行も百貨店も商店もそんな感じなのである。
漢字が使われ、ひらがなも見かける。終戦後、日本を嫌って漢字を廃止しハングルを復活させたから、今のソウルの景観があるのだろう。
















この場所で撮影された映画シーンやポスターが展示されている場所が2ヵ所あった。ブラザーフッド、下流人生、力道山、野人時代・・・等懐かしい映画映やドラマもあった。その中で朝鮮戦争の頃を描いた、ブラザーフッドのイ・ウンジュが私には印象的だった。このセット場を使って数々の名作が生まれたのだろう。そして笑ったり、涙したのだろうか。
今はひっそりとしてはいるが、いずれ、大勢の出演者やスタッフが行き交い、大声が上がったりカチンコが鳴り響いたりたりして撮影が行われるのであろう。

このスタジオの向こう側にもう一つ同じようなセット場が見えた。行ってみるとKBSの撮影所と書いてあった。屋内撮影所もあるみたいだ。やはりここも同じ時代を再現しているようである。すぐ傍にはスポーツ施設があって、大勢の子供達が楽しそうに遊んでいた。

バス停を探して歩いていると、広い駐車場の向こうに、クアラルンプールにあるペトロナスツインタワーが見えてきた。NYのエンパイアステートビルもある。何かテーマパークみたいだ。正面にいくつものチケットブースが並んでいる。この近くにはいろいろなアミューズメント施設があるみたいだ。

バス停は降りた場所と違うみたいで、5−2とかは無かった。どこに行こうが帰るのは楽である。適当に、来たバスに乗った。途中、富川市の中心部を通った。とても大きい町だ。地下鉄工事をやっていた。しばらく走って、バスは出発地の松内駅に着いた。

龍山ラピッドに乗ってソウルへ向う。東大門近くの焼き魚通りへ行こうと思っている。
龍山で乗り換えた後、鍾路5街で降りる。鍾路を歩いた。店は次々に閉まっていく閉店の時間のようだ。歩道に沿って延々と並んだ屋台だが、今は縄がかけられている。まだお正月休みの延長なのだろうか。
広蔵市場のモクチャコルモクはいつもの活況だ。ここまで来ると急に明るくなる。庶民的な通りだ。お客も大勢いて、食べたり飲んだりしている。あっちこっちで湯気が立ち昇っている。このまばゆい電球の灯りが全てを美味しそうに見せているようだ。スンデに豚足、マンドゥ、キンパッ、小豆粥に南瓜粥。ソジュを飲みながら、みんな楽しそうだ。

そこから東大門市場の方へ細い路地を歩いて行くと、薄暗い通りの中に焼き魚の店が並んでいるのが見えてきた。
こちらは煙がいっぱい。アジュマが店の入り口でいろんな魚を焼いている。アジョッシはどこにもいない。これは女性の仕事なのか。それにしても韓国の女性は働き者だ。
前を通ると声がかかる。この店に入ろう。焼き魚が5種類、網の横のトレーに盛られている。お目当ては、コドゥンオ。他にさわら、イシモチ、さんま、とかもある。
先ず席について、コドゥンオ!と言った。奥の方からバンチャンが運ばれてきて、その後しばらくしてから、先ほどのアジュマがコドゥンオを持って来てくれた。
むらなく焼けている。脂がのってて美味しい。醤油の皿に、絵具のようなワサビが塗り付けられている。
醤油にもつけて食べてみたが、そのままで十分だ。
味噌汁は普通のおふくろの味。豆味噌で作ってある。やはり大豆粒が沈んでいる。ご飯もたっぷりあった。5000Wだった。
店頭では煙をあげながら、まだ焼いている。チャルモゴッスムニダ!ご馳走さまを言って出た。


東大門へ行ってみようと、しばらく飲食店の並ぶ路地を歩いた。
明るく照らされた東大門を見ていたら、日本人のカップルに、カメラのシャッター押しを頼まれた。私を韓国人と思っているようだったので、ハナ・トゥル・セッ!で撮ってあげた。東大門をバックに上手に撮ったつもりだ。
太宰治は富嶽百景で、写真を頼まれた時、顔は入れずに雄大な富士山だけを撮ったと書いていた。雄大な富士ならそうだろう。私はそんないたずらはしない。
ドゥータの前を通り、ミリオレとハローエーピーエムに入ってみた。人も多いが商品の在庫も凄まじい。客は殆ど若者ばかりだ。
東大門運動場は現在工事中になっていて塀で囲まれている。中の施設は撤去されたようだ。地下鉄の階段に再開発の構想図が掲示されていた。
その後、少し歩いて東大入口で地下鉄に乗った。そして鍾路3街まで行って5号線に乗り換えた。


16  楊州別山台ノリのふるさとを訪ねて

朝食を屋台で食べようと思って、少し早く宿を出た。
韓国版トゥーストを食べてみたかったのだ。鐘閣駅の上辺りで今まで何度も見かけていたので、それを目当てにしていた。
鍾路タワーから世宗路へ向って歩いたが一軒も見つからない。新聞とか売ってるボックスしかないのだ。清進洞の入り口まで来て、ちょっと入ってみた。かなり様子が違っていて驚いた。清進屋がないではないか。フェンスで囲まれていて貼り紙がしてあった。この地区も再開発されるのか。

歩いていると李舜臣像の所まで出てしまった。これより北側には何もないとは思うが、僅かな期待で行ってみた。屋台はないけど、大勢の警官が立っていた。この辺りは国家の重要な機関がいっぱいある。
青瓦台と共に、いつも機動隊のバスが停まっている地域だ。何か見張られているような気配を感じる。景福宮の方を見ると、遠くに青瓦台がくっきり浮かび上がって見えた。
もう退散しよう、鍾路へ戻った。北側の歩道を3街の方へ歩く。鐘閣から向こうに何か有るような気がした。

タプコル公園の前まで来て、考え直した。お腹も空いてきた、もう屋台は諦めよう。思い出したのが、ナビに出ていた安くて美味しい人気店、ソムンナンキョンブッチッ。
 ※地下鉄3街15番出口を出て100メートル進みYBAのすぐ手前を左に曲がり、1つ目を右に曲がり真直ぐ30m の所にある。
メモを持っていた。それにしても、ナビの記事はよく分かる、そのまんま書いてくれてある。迷うことなく店の前に来ていた。
未だ客はいなかった。従業員6人が集まってお茶を飲んでいた。客が入っても慌てる様子は全くない。主人らしき人も入り口に座っているが平然としている。


スンドゥブチゲを注文した。スンドゥブ、ヨ?と言って一人の女性が奥へ入って行った。しばらくして、くつくつ煮立っている鍋とバンチャンが運ばれてきた。
スープは赤い色をしていて少し辛い。スッカラッで中を混ぜると、豆腐がしっかりと鍋にくっついている。
アサリも入っている、豆腐はやけどしそうに熱い。でもこんな寒い時は熱いのもご馳走だ。
ご飯を食べ、練り物、和え物、もやしキムチなどを食べた。3000Wだった。確かに安くて美味しい。

清渓川まで来て、少し遊歩道を歩いた。両側は壁だから、風もなく日差しで暖かい。都会のオアシスだ。ベンチでしばらく休憩した。

鍾路2街まで戻って鐘閣から地下鉄1号線に乗った。目的地は楊州、別山台ノリの里。
この1号線、私は未だ清涼里から先へは行った事が無かった。そのまんまで着くと思っていた。ところが城北(ソンブク)で終点になり、次のは議政府(ウイジョンブ)まで。次々と乗換えになっていた。
何度も乗り換えてやっと楊州駅に着いた。さすがにここまで来ると農地が見えるようになった。山台ノリの資料は何も持ってはいなかった。ただ、楊州が別山台ノリの里である事しか知らなかった。

楊州の駅には仮面踊りのポスターがある、それに観光地図まで置いて有った。ここで間違いないようだ。ただこの地図、後で随分悩まされる事になるのだが。

駅の椅子に座ってじっくり見てみた。距離と方角が正確な平面地図でないから分かりにくい。ネットで調べても韓国の地図は細部まできっちリ表示されない時が多い。休戦中の国だからなのだろうか。
しかもイラスト風の地図が多く、歩くのには適さない。これもそうだ、全くの観光用イラストマップ。駅名も違っているし、方角も変だ。ただ市庁舎近くに別山台ノリ伝授館がある事位は信じたかった。

駅前にバス停があって大勢の人がバスを待っていた。その一人に市庁の場所を聞いてみた。すると、あっちの方だと指をさして教えてくれた。バスも市庁経由らしきのも何台か来る。でも未だ確信が持てなかった。市庁と山台ノリマダンとの距離も不明である。ちょっと辺りを歩いてみる。

北朝鮮との国境が近いためか軍事施設が多いせいなのか、多少の緊迫感を感じる。大通りには通過車両の監視所も有る。
やはりイラストマップは信用できないので、教えられた方向へ歩く事にした。道路は4車線で広いが歩道は無い。韓国は一般道路も制限スピードが80kmがある。
ここもそうだった80kmの標識が見える。車がすぐ横を猛烈なスピードで駆け抜けて行く。私は車道のできるだけ隅を歩いた。1kmも歩いただろうか、左手に市庁舎が見えてきた。
この交差点を市庁の方に曲がると仮面踊りの大きな写真が入った看板が見えた。メタボなお腹を出して踊っている。その先へ歩いて行くと、軍の施設が有って、少し先には伝授館の案内が出ていた。
舞台と思われる大きな屋根も見える。やっと来られた。細い道を案内板の方向へ入って行くと、大きな木の近くに塀に囲まれた楊州郷校があった。中には入れない。そしてその左手向こうに伝授館が見える。








大きな屋根の舞台はすり鉢状になっていて、観客用の座席がぐるりを取り囲んでいる。中には入れないよう鍵がしてある。その横にある建物に入ってみた。
仮面がいっぱい展示してあり、踊りの写真もある。右側の部屋を覗くと、アジュマが寝そべったり何かを作っていたりしている。展示に戻って写真を撮っていると、若いアジョッシが事務所から出てきた。少し話してみる。
あまり理解はできていないのだが、時々首を縦に振って聞いた。そして先ほどの演舞場へ案内してくれて、また説明が始まった。その時点で、相手が理解していない事に気づき、誰かに電話をした。
そして携帯を渡してくれ、にっこりした。電話の向こうは日本語だった。
流暢に話すが少し訛りがあり日本人ではないみたいだ。その方が詳しく教えてくれ概略を理解する事ができた。
昔の様子はと尋ねると、いろんな広場を移動してやっていたとの事である。やはり庶民の文化だ。現在はこの伝授館で、練習とか休日の定期公演とかをやっているそうだ。今、公演は無いから春か秋に来てください、その時に私が案内しましょう、と言ってくれた。

屋根のある舞台から少し離れた場所に、土間の舞台があった。こちらの方が雰囲気が良い、昔風に見られそうだ。アジョッシはその後ろに建つ展示館へ案内してくれ、また説明してくれた。
パネルの写真で仮面を被って踊っている人を指さし、私だと言った。誇らしげだった。私はこれでと握手をした後、事務所へ帰って行った。
親切な人に出会って良かった。楊州にはとても良い印象を持つ事ができた。近くの畑の奥をぶらぶら歩き、別山台ノリの里の情緒を味わった。

私はこの公演のないこんな時期にここを訪れたのは、踊りを見れなくても村の情緒を楽しみたかったのだ。
昔、農民たちが少しづつ広場に集まって来て、そこに公演者がどこからともなく現れて踊りが始まる。そんな場所を感じたかった。そんな原風景を頭に描くだけでも良かったのだ。

楊州駅からソウル市内行きの電車はすぐやって来た。しかも何と仁川行きだ。なんだ、直通もあったのか。

夕食はカムジャグッにしようと思っていた。昨夜ソウルナビで調べていたのだ。地図をメモしていた。1号線の石渓(ソッキョ)で6号線に乗り換えセジョル駅へ向かう。

地下鉄駅を降りて階段を上ると、大通りがある。川に沿って歩いて行くと橋があり、その橋を渡ってすぐ右に曲がり数十メートル行った所を左に曲がる。その辺りも食堂が何軒か並んでいるが、しばらく歩くと大きな通りに出る。
そうすると向い側にカムジャグッ通りのアーチが見えるのだ。薄暗い中カムジャグッの店々の明かりが眩しい位だ。7〜8軒はあろうか。どこがいいか迷ってしまう。少しでも足を止めようものなら、すぐアジュマが飛び出して来て、入れと誘われる。その中で客の多い店を探す。少し大きめの店の所でアジュマが出てきた。








入って、1人分はできるか聞くと、やって貰えそうだった。この種の料理は2人前以上が基本なのだ。オンドルの方がテーブルは多いが、椅子席に座る。すぐ具材で山盛りの鍋が出てきた。ガスに点火した後で奥に入って行って、カキとキムチ、青唐辛子と白菜の皿を持ってきた。
どう食べるか聞くと、小皿に入ったコチュジャン風の調味料につけて食べるようにと言ってる。奥に立ってるアジュマが時々鍋を混ぜに来る。しばらく待っていると出来たようで食べろと言う。
大きな深皿が有る訳が分かった。鍋をつっ突くと骨付きの肉が出てきた。少しづつ身をはずして食べていく。汁は赤いがそう辛くない。ジャガイモ汁と言う割に大きいのが1個しか入っていない。とても美味しく食べた。
メニューボードを見るとS20000Wとか書いてある。その位するものなのかと思っていた。出口でオルマエヨ?と言うと、ユッチョンと聞こえる。でもボードは2万Wだったので2万W出した。
そうすると1万W返してきて4000W釣をくれた。
帰り道、川の両側の遊歩道では、まだ何人かがジョギングしていた。地下鉄は孔徳で6号線から5号線に乗り換え新亭へ帰った。


17  南山頂上へ徒歩で登る

朝10時頃に宿を出た。朝食は鍾路3街のケリョンチッを探して行こうと思っている。
5号線からなので、そのまんま3街へ出られる。ナビの記事をメモした通りに、6番出口を上った。鍾路3街は地下鉄が3線交わっており5号と1号の乗り換えはかなり遠い。ところがこの6番口は私には一番近い所にあった。








右側の路地を入り別れ道を少し歩くと、もうアジョッシが魚を焼いているのが見えた。煙も出ていた。トレイにはだいぶ焼けたのが盛られていた。シクサ?と聞いてきた。すかさず、コドゥンオ、と言って店の中に入った。
アジュマがすぐ水とバンチャンを運んできた。しばらくするとコドゥンオもきた。味噌汁は豆味噌の味だ野菜がたくさん入っている。この味にも少し慣れてきた。とても美味しく感じるようになった。魚は小さめだけど、すごく美味しい。
5000Wだった。
店から少し歩くと、物乞いが缶を差出して入れてくれと言っている。この辺りはちょっと貧しそうな雰囲気もする。

今日は南山へ行く予定にしていた。鍾路3街から清渓川を渡って明洞まで歩き、更に忠武路を通って退渓路に出た。道端でケランパンを売っていたので買ってみた。これは未だ一度も食べた事がない。
小判型の今川焼ってところか、ただ餡の代わりに鶏卵が一個まるまる入っている。美味しそうで2個買った。
生地はほのかに甘い。卵は特に味付けしたようではない。温かいうちが美味しいのだろうと思ってすぐ食べた。

地下道を通って、やっとソウル駅前までやって来た。
歩いて登るのは初めてだったので、ガイドブックの地図を片手にだった。ビルの間の坂道を登ると長い階段が有った。いろんなドラマに出てくるのはこれなのか、この裏側のなのか。
南山植物園の中に入ってちょっと休憩をした。ここもまだお正月の雰囲気がする。カップルとか家族連れが次々と前を歩いていく。歩いて登る人もかなり多いようだ。日差しはあるが、じっとしていると寒い。再び歩き出す。

この後はかなり急な坂道が続いていた。ただ階段としてきれいに整備されているので歩きやすい。何度も立ったまま休憩した。この急坂の道を一気には登れない、悲しい年齢だ。途中に展望台があって180度以上の眺望が楽しめるようになっている。ソウルの市街地が真っ正面に見える。王宮はしっかり見えないのに、青瓦台(チョンワデ)は目立っている。青い瓦が浮かび上がって見えている。
しばらく登ると、ロープウエイが手の届きそうな所を通過して行った。そして最後の急坂を登ると、ロープウエイの頂上駅の所に出た。人の群れがどっとこの登山道に溢れてきた。ほんの数メートル歩くのがきついと感じるようになってきた。

上の広場には大勢の人が集まっている。何かイベントがあるようだ。見晴らし台に上がると、柵に鍵がいっぱい取り付けてある。隙間が無い程だ。ぐるりと、その横の柵にも下にもあった。
カップルの固い絆の証明か、永遠の愛を誓うおまじないなのか。何千個いや何万個かの鍵を見ながら、余計な心配をした。

広場はと言えば、ドラマの時代劇さながらの衣装で8名位の武者が登場してきた。案内アナウンスの声が一段と上がる。リーダーの合図で、武者達は刀を振ったり、切り合ったり、青竹を一撃で切り飛ばしたり、かなりハードなアクションをやっている。技が決まる度に周りから驚嘆の歓声と拍手がおこる。

景観もしっかり楽しんだので、またもと来た山道を下る事にした。
植物園の下の、あの長い階段を下って行くと、ヒルトンホテルの前に出た。今度は右側へ下りてみる事にしよう。すると見覚えのある南大門市場入口の広い坂道に出るではないか。なんだ、この道だったのか。それじゃソウル駅の方まで行く必要なかったのに。
ソウル駅から南大門市場へ行く時横切る広い道。退渓路を歩くと頭の上を通っている道だった。

かなり疲れたが、ソウルは最終日なので、もう少し歩いてみたかった。
南大門市場は凄い混みようだった。昨年は人が少なくてさびれている印象だった。店の方も客の方も日本語がやたら飛び交っている。それに中国語も多い。その後行った明洞もかなり混雑していた。
日本も韓国も不況の真っ只中なのに何なのだろう。今日はそんな雰囲気は全く感じられない。疲れてきて人混みがうっとうしくなった。
コーヒーを飲んで休憩し、屋台のホットッを食べた後、宿へ帰る事にした。
木洞の地下鉄駅を上がった所に、屋台が出ていて、あのケランパンを売っていた。何か惹かれるものがあって、ついまた2個買ってしまった。その後、夕食は木洞と新亭の間にあるキンパッの店で食べた。
明日は移動日なので、シャワーを浴びて早目に就寝した。




                          
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仁川中華街。仁川駅前の中華街入口、第一牌楼(パイロウ)以前は赤かったような気がするのだが。


旧租界地の境界階段。左が清国、右が日本。1880年代に仁川港が開港され、日本・清国 等の租界地ができ、日本の韓国併合頃まで 続いた。

旧租界地の日本側の歴史文化街。日本風の建物が並んでいる。旧日本第一銀行や18銀行、58銀行等が保存されている。中国側の中華街は派手な建物で賑わってもいるが、日本側はひっそりしているのが印象的だ。

中央路に面した、新浦洞市場で行列の店が。鶏の唐揚げのようだ。鶏一匹が基本のようだ。


新浦洞市場には様々な点心が売られていた。こちらは中華饅頭っぽい。



ウォルミドはモノレール建設のため、あちこち掘り起こされて無残な景色に。










韓国の原風景を感じられる、広い富川のスタジオ。


スタジオ内。鐘閣付近、鐘を吊るした普信閣がある。


スタジオ内、市街電車。走る事もできる。


  映画のポスターと名場面の写真が飾ってある





東大門市場近くの焼き魚通り付近。素朴な温かさがある。

焼き魚通りはアジュマが大活躍中。韓国の高級魚いしもちを焼いているようだ。














世宗大通りで見かけた、古き良きソウルの写真。


世宗路は何か整備されるようで、工事が行われている。












  
楊州別山台ノリ伝授会館の近くにある楊州郷校。



      
楊州別山台ノリ伝授会館前の広場。

   タル・・・仮面  チュム・・・踊り
   山台(サンデ)・・・舞台  ノリ・・・遊び 
   タルチュム、山台ノリ・・・仮面劇
   別山台・・・ソウルを中心にした本山台に対し
         楊州地方のものを別山台と呼ばれ
         ている。
   マダン・・・ 広場
   マダンノリ・・・打楽器の演奏に合わせ、頭の
           白いリボンを回しながら踊る伝
           統芸能



     楊州の別山台ノリはこのような衣装で




















カムジャグッ通り。地下鉄6号線セジョル駅から歩いて10分程度。
                 


カムジャグッ通りの案内板。














ソウル駅前の、ここからから南山に登る。


南山よりソウル中心部を臨む。青瓦台の青い瓦も見える。


南山の頂上で時代劇のイベントが行われていた。