メ コ ン の 流 れ と と も に     32
マラッカ・ニョニャ料理の味は
マレーシア Ⅱ 2   2月16日 (木)
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1.ニョニャ料理はBaba Laksa

昨夜は雷が鳴って、雨もだいぶ降ったようだ。今はすっかり回復しているが路面はぬれたままだ。
宿を出て、三差路からハンジェバッ通りを少し行くと、ババ・ニョニャ料理の店『Jonker88』、があった。店頭でメニューを眺めていると、入り口にいる店主らしきおばさんが入るよう言った。メニューは『Baba』、と『Nyonya』、に分かれていてBabaの方が圧倒的に多い。と言う事は中国系の味が中心なのか。おばさんにお勧めを聞くと、「これがオリジナルだから」、と、どうも雲南麺のようだった。
出てきた料理は、BabaLaksa。ココナッツミルクが赤く染まってどろっとしたスープに、具材があれこれいっぱい載っている。かなりスパイシーだが深みのある味だ。麺は細いのが固まって入っていて、解しながら食べた。美味しいのだが朝用にはこってりし過ぎかも。

店内には昔の紙幣や硬貨、それに沈没船から引き揚げられた食器類などで飾られていた。かつて繁栄を極めた時代の歴史を物語っているようだ。この店もペラナカンの歴史と共にいろんな文化を受け継いできたのだろう。

おばさんは入り口の厨房にいて、油で揚げる作業をしていた。
財布の硬貨が重いと言うと、「換えてあげるから出しなさい」、と言って紙幣に交換してくれたのだが、この時シンガポールの硬貨が1個出てきたようだ。私は全く気付かなかったが、なかなか目ざとい。
真黒なインド人の男の子が隣にいて、手振りを交えながら何かと相槌を打っているのが面白い。



2.サンチャゴ要塞からセント・ポール教会へ

オランダ広場に着くと、真っ赤な制服の集団が並んで記念写真を撮っていた。ブリジストンのジャカルタとか書かれた横長の旗を引張っている。Feb.14~17、80人程での研修旅行のようだ。

ここから北へJl.Laksamanaを通って、フランシス・ザビエル教会を右に入る。路地を少し歩きマラッカ・スルタン・パレスに出る。ここは古い王宮を再現した木造建築で、マラッカ文化博物館になっている。
ここからサンチャゴ砦へ行こうとしたら、小さな門があり案内所か料金所なのか、私は反対方向から入ったので、怪訝そうな顔をされた。
マラッカ観光では、チャイナタウンと並んでサンチャゴ要塞やセント・ポール教会は誰もが訪れるスポットだろう、と思って行ってみた。
要塞は固い岩石のブロックで建てられた門の跡だけが残されている。大航海時代のマラッカは東西交易でも軍事面でも重要な拠点であった。当時この周りは海に面していて、ぐるりと囲む城壁と4つの門が築かれたようだ。その中でこの門の部分だけが今も残っている。
中には絵筆を持った人がいて、この砦の風景を描いたキャンバスを展示していた。観光客は写真を撮ると、すぐ石段を登りセント・ポール教会の方へ行ってしまう。

小高い丘の上に建つセント・ポール教会は、現在では廃墟になってしまっているが、ぐるりに墓石が並ぶ当時は宣教師たちの活動拠点となっていたようだ。フランシスコ・ザビエルが日本へ行くきっかけとなった、アンジロウとの出会いもこの教会だ。
天井は無く、周りを取り囲む壁だけが残されていて、ぐるりと墓石が置かれている。奥の方にはフランシスコ・ザビエルの遺骨が一時安置されていたと言う、網がかかった井戸みたいな場所があった。
私は全く調べていなかったのだが、ちょうどツアー客を引き連れたガイドが日本語で説明していた。
やっぱり日本語で話してくれると有難い。小さな声でもすぐ内容が分かってしまう。

この高台からは、周囲の街並みや、マラッカ海峡まで眺められる。風もよく通り日陰は涼しく感じられる。
ムルデカ広場の方へ下りて行くと、ここにも大砲を海側に向けた小さな要塞跡があった。オランダ統治時代のものなのかDUTCHと書かれていて、赤く硬そうな煉瓦が積み重ねられている。
マラッカは海のシルクロードの時代には、交易の要衝として栄えたが、後に西欧諸国に支配された歴史がある。
再び、オランダ広場からチャイナタウンの方へ橋を渡り、トゥン・タン・チェン・ロック通りを歩く。この通りは商店街となっているジョンカー・ストリートとは違って、車の通行も少なく、時折観光客に出会う程度だ。ゆっくりこの古い街並みを堪能する事ができる。

この後、Jl.Kubuまで出て、一旦宿へ戻る事にした。


3.マラッカ・セントラルまで歩いてみた

マラッカ・セントラルがどの位置にあるのか興味があったので、歩いて行ってみる事にした。
地図は途中まで、以前のバスターミナル付近までしかない。そこから先は誰かに聞こうと思っている。
Jl.Kubuを北へ歩くと10分程で、橋の向こうからのJl.MunshiAbdullahと合流した。両側にはビルが建ち並んでいて、Bank・Islamと言った銀行、TANDAS AWAM(公衆トイレ)の小さな小屋、がある。道路は合流点から広くなっているが、北方向への一方通行になっていた。
地図にある、以前の長距離バスターミナルとセントラル・マーケットを確認しようと、右側のJl.TunMamatへ入ってみる。さすがに広い敷地は有るが荒れ地になっていて、使われているようではない。
方向はおおよその見当をつけて、オランダ広場からずっと北へ延びるJl.Bendahara→Jl.TunSriLanangの方へと歩く。
欄干に鎧の頭みたいなものが乗っかった橋があった。そこを渡ると、右側にスパイス・ガーデンが、その奥にはリバークルーズの終点となる船の溜まり場があった。若しこの道が間違っているなら、ここから船で引き返せば良い。そう考えると気が楽になる。
この交差点を北へ向かって歩いて行くと、左側のはるか遠くにテスコの看板が見えた。そして高架になった道路の下を通るようになり、正面に広告なのかデッカイ派手な看板がかかっている。ポテトチップスの筒の絵と『Jacker』と書いてある。その向こうには、ショッピングセンターとも見える建物がいっぱいあったので、「やっと着いた」、と思ったのだが、チョッと雰囲気が違っていた。露店のおばさんに尋ねてみると、「こっちじゃないよ、その道路の右側よ」、と言うではないか。
それでも、そのJl.TunRazak、6車線の道路を西へ歩くと、先ずテスコが、その向い側に『MERAKA SENTRAL』、の大きな看板が見えてきたのだ。
緊張が解けると、暑い、疲れた。
マラッカ・セントラルとテスコの間には、広い道路を横切るための陸橋が架かっている。なだらかな傾斜を上るとスナック類を売るボックスがあった。橋の上から眺めるとマラッカにいるような気がしない。広大な土地に真っ直ぐな道路やショッピングセンター。まるでアメリカにでもいるような錯覚を覚える。
橋を渡り切った場所にも店があり、美味しそうな氷やデザートのメニューが見えた。
ょうど良い、ここで氷のデザートを食べよう。ベトナムのチェーを連想するような具がいっぱい入ったものを注文し、道路を見下ろすテーブルで待った。
これがすこぶるうまい。疲れていて喉も渇いているから、冷たければ美味しいように思うけど、これは違っていた。コーンやピーナツ、寒天、アイスクリーム、等、その上にココナッツミルクがたっぷりかかっている。冷たくて香ばしくて、何ともうまいのだ。運んできたおばさんはトゥドゥンを被ったイスラムの人だ。と言うか、マレーシアではそれで普通なのだが。少し太めのきれいな人だ。
隣のテーブルへ来た時に、こちらを向いて「美味しかった?」と笑いながら日本語で言った。なぜ日本人だと分かるのだろう、不思議だ。
このテーブルからは車の流れや遠くの景色までよく見える。高い場所だから風がよく通って涼しい。
美味しく食べた後しばらく休んで、おばさんに、「美味しかったよ」、と言ったら、にっこりして手を振ってくれた。


マラッカ・セントラル内を散策した。衣類から貴金属・アクセサリー、CDやDVDの店まで、広いし店の数も多い。昨日はさっぱり分からなかった様子が、今日は常連さんのように分かるようになった。マックのメニューを見るとチキン系が多い。豚はダメだし、ビーフも何かと問題がありそうだ。
明日の高速バスのチケット売り場もチョッと見ておいた。


帰りはセブンティーンのタウンバスに乗った。今日は小さいがきれいなワンマンバスだ。運転手にダッチ・スクウェアと言って、RM1を支払い切符を貰った。オランダ広場と言ってると、ついホラント・スクウェアとか言いそうになってしまう。
オランダ広場で降りインド人街の方へ歩いて行く。そこで食事しようと思っている。



4.インド人街でカレーを食べる

この店、『SriLakshmiVilas(スリ・ラクシン・ビラス)』、はJl.Bendaharaのインド人街を少し入った所にある。Jl.Temenggongとの交差点のすぐ北の右側だ。店主がマドラスの出身だとかで、南インドの料理が味わえるそうだ。
気取りのない庶民食堂の雰囲気の店だ。店主と一緒にメニューを見ながら話す。そしてチキンミールに決めた。
いきなりテーブルにバナナの葉っぱが置かれ、その上にご飯とおかず3品と揚げ煎餅のようなパパドが並んだ。そして、ご飯の真ん中にお玉で窪みを作り、ポットのまま持ってきたカレーを3度ばかり流し入れた。サラサラしてるから流れ出さないか心配したが、プロの世界にそんな気遣いは必要なかった。
インド人は手で摘んで食べるのだろうが、おじさんはすぐフォークとスプーンを持ってきた。
カレーはかなりスパイシーだが、おかずの鶏の骨付き肉とかインゲン豆の和え物、ジャガイモを煮た物などは辛くない。ただ、カレーはコクがなく、ただ辛いだけで、慣れないと美味しくは感じられないようだ。
店主のおじさんに、「どこから?」と聞かれた。ちょうどアイドルタイムなのか私以外に客はいなかった。


交差点まで戻ると、噴水場の辺りに鳩がいっぱい集まっていた。中国や香港では、お寺でさえ絶対に見かける事のない鳩だが、ここでは健在だった。
トライショーが大きな音で音楽を流しながら通り過ぎて行く。傘にも自転車にも客席も、派手に飾られている。客へのサービスだとか言うあの音楽、音が大き過ぎチョッと頂けない。

マラッカ川の両岸に整備されている遊歩道を歩いてみる事にした。
いったいどこまで続いているのだろう。途中で歩行者用の小さな橋を渡って対岸へ出た。夕方の水辺は涼しい。時折、リバー・クルーズの遊覧船が通り過ぎて行く。何だか広い公園の中にいるようだ。

ぐるり一周し、オランダ広場まで戻って来て、昨日のカフェへ行った。川岸のテーブルへ座り、コーラを注文した。対岸の同じようなカフェに、昨日はここにいた白人の観光客が座っているのが見えた。セント・ポール教会でも見かけたから、この街での行動範囲は狭いようだ。

宿に帰る途中で、豆乳缶とかお菓子を買った。
部屋でPCにSWを入れたが、ネットに繋がらない。2つの信号がありPWも違っていたが、どちらも使えず、結局1階のカウンター前にあるテーブルで使った。




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ババ・ニョニャ料理の店『Jonker88』、明るく元気なおばさんがいる。
福建會館の前に立っている見事に装飾された柱。

オランダ統治時代に建てられたセントポール教会。現在は廃墟になっている。

セントポール教会の内部。壁面にはぐるり文言の入った石板が立てかけられている。

砦跡から見たオランダ広場。観光客は必ずこの場所に一旦立ち寄るようだ。

トゥン・タン・チェン・ロック通りの街並み。道幅が狭く商店も殆どない。その分昔の風情を感じられる。

トライショーには白壁の古い街並みがよく似合う。

マラッカ・セントラルから市街地へ向かう道路。すぐ右側にテスコ、前方にはイオンのS.C.がある。

バナナの葉っぱの上に載ったご飯とカレーにおかず。私はスプーンとフォークで食べた。

マラッカ川の風景。ぐるりに遊歩道があり絶好の夕涼みスポットだ。