メ コ ン の 流 れ と と も に 31 | |
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1.シンガポールからジョホール・バルへ 目が覚めると、辺りは真っ暗だった。このゲストハウスでは朝を感じない。起きた人も寝ている人のために電灯はつけない。時々ガサガサ音がするだけだ。隣の中国人学生があちこち懐中電灯で照らしているようだ。時計を見るともう9時になっていた。 ![]() ![]() 洗面を済ませ301号室に戻ると、まだしっかり眠っている人もいる。中国人のグループは出発の準備をしていた。今日のどの便で深圳に帰るのだろうか。 1階のカウンターに行くと、カフェの方では大勢の客が朝食中のようだ。楽しそうな雰囲気に包まれていた。高かったキーデポジットの20ドルを返してもらい、サインしてから、ここを出た。 すぐ前のジャラン・ベサールから、のみの市の方に入り裏道を歩く。キャナルからJBバスターミナルへ出た。 外にある切符売り場のおじさんに、「ラーキンまで」、と言ってジョホール・バルまでの切符を買った。細長い小さな切符に、月・日・時刻の上に穴をあけるようになっていた。星柔快車、Air-Con Express、だ。すぐ前のバスに乗るように、言われた。車内にはすでに大勢の乗客がいて、まもなく出発した。 ![]() ![]() コーズウェイの手前にあるイミグレーションで一旦バスを降りた。私はいつもバスを降りるとバックナンバーの写真を撮るようにしている。SA等でも、他のバスと間違わないためなのだが、この出・入国だけは意味が無かった。 エスカレーターで2階に上がると、AllPassportのカウンターがずらりと並んでいる。出国カードを渡しスタンプを押してもらうと、すぐ1階のバス乗り場へ下りて行った。バスを探したのだが、あの番号のバスはいなくなっていた。それが信じられなくて、あちこち歩き回っていると、その様子を見ていたのだろう、現地の親子連れの方が心配そうに声をかけてくれた。 「ここで待てば良い」、とパイプで仕切られたレーンを教えてくれた。その方も同じバスの乗客だった。近くにいた白髪の男性もバスの中で見かけた人だ。乗客を降ろしたらバスはすぐ出発してしまう、と言う事にやっと気がついた。今までの国境越えとはチョッと違うようだ。 ![]() 以前、マレーシア側からシンガポールへ列車で入国した事があった ![]() しばらく待って、このレーンに赤いバスがやって来た。やはり先ほどのバスではない、古くて窓も汚れている。おばさんが「このバスよ」、と言ってくれた。 コーズウェイの橋を通った後、巨大な建物の中に入って行った。再びバスを降りエスカレーターで2階へ上る。広い空間の隅の方で皆が一斉にカードに記入していた。私も係員にカードを貰い記入を済ませた。イミグレーションでは名前を呼んでチェックされた。 入国すると矢印→が2方向に向いていたが、直進がバスの方のようだ。ところが今度は、AとBと下り口が別かれている。 プラットホームにあの赤いバスはいなかった。どこに消えたのか、あの乗客達もいなくなっていた。乗り場は多いし、黄色いバスが所々に停まっている。今度は本当に分からなくなってしまった。 ![]() ![]() バスはシンガポールに負けない位りっぱな道路を走る。パーム椰子の街路樹もきれいだ。 バスがいっぱいのターミナルへ入り、「ラーキン、ラーキン」と言った。降りる時に「ラーキン?」と確認したら、「どこへ?」と聞かれたので、「マラッカまで」、と言うと、運転手は、前を通りかかった係員を呼び止めて、「マラッカ行きのバスまで案内するよう」、言ってくれた。 その黄シャツの男性は、ついてくるように言って、切符売場へ連れて行った。そして、11時30分(その時11時20分)だからと言う。何とも忙しい。ここで食事をしようと思っていたのだが。次の便はと聞くと14時だ、(他の会社の便もあった筈だ)と言う。どうもこのバスに乗せたいようだ。慌てて、トイレを済ませ、コンビニに入るとパンがどっさり積み上げられて、美味しそうな匂いがしていた。オレンジジュースと柔らかいパンを買った。 乗り場に戻るとおじさんが心配そうに待っていて、「あのバスに乗るように」と指さした。きれいな大型のバスだ。どこから来たバスなのか、いっぱい乗っていてほぼ席は埋まっていた。 2.マラッカのバスターミナルはショッピングセンターに併設されていた マレーシアの高速道路はよく整備されていて快適だ。広大なプランテーションの椰子畑が延々と続いている。 パンを食べると、かなり美味しい。ベトナムと比較してしまうが、菓子パンはこちらが断然良い。ただ逆にフランスパンはラオスやベトナムが ![]() ![]() 2時間40分でマラッカ・セントラル・バスターミナルに着いた。『MELAKA SENTRAL』、と書かれた大きな看板が立っている。 このターミナルは、大きなショッピングセンターに併設されていて、買い物客でも賑わっている。すぐ前には高速道路並みの真新しい広い道路走っていて、近くには『テスコ』、や『ジャスコ』、の大型ショッピングセンターもある。 町の方へ入るのだが、今日のホテルが旧市街のハン・ジェバッ通りの端の方にあった。実は、マレーシアのガイドブックは持って来なかった。重くなるのでマラッカの地図の部分だけ破ってきた。その地図によれば ![]() ![]() 何とこの地図は古くて、ターミナルは移転してしまっていたのだ。そうなると、この場所がどの辺りなのかさっぱり分からない。 17番バスは8番乗り場にやって来た。乗り込むと、隣のシートは壊れて床が見えていた。車掌のおじさんにRM1払って切符を貰う。どこで降りればいいか分からないが、取りあえず市街地まで行けばどうにでもなりそうに思った。 ![]() ![]() 辺りの歴史を感じさせる建物群は、オランダが支配していた当時の名残だ。赤いレンガ色が異国情緒を感じさせる。 マラッカは15世紀頃の王国時代に、アジア各国との貿易で栄えていたが、後にポルトガル、オランダ、イギリス、と次々と強国の支配下に入ってしまう。 オランダ広場を離れマラッカ川に架かる橋まで来ると、川辺には風情のある景色が広がっていた。 橋を渡りハン・ジェバッ通りに入る。かつてペラナカンが住んでいた歴史的な建物が並んでいる。繁栄を極めた、当時の様子が浮かんできそうだ。貿易が盛んな頃、中国南部から移住してきた男性とマレー人の女性との間にできた子孫から、後に両方の文化が融合したババ・ニョニャ(ペラナカン)文化を生み出す事となる。 3.マラッカの古い街並みを歩く 宿はこの通りの端の方、Jl.Portugisへチョッと入った場所にある。しばらくこのチャイナタウンの街並みを歩いてみる。龍のついた赤い旗が道路を横断し張られていて、道に沿っては赤い提灯が延びている。いかにも中華街の様相だ。 ![]() ![]() ホテルのすぐ傍には香林寺が、ハン・ジェバッ通りに出て、古邦の土産専売店、足マッサージの店、アンティーク・ショップ、サンダル屋、少し通りを外れた所には、スマトラ建築様式のカンポン・クリン・モスクがある。橋の手前の交差点には魚が上を向いて水を出している噴水があった。オランダ広場の隅にある露店にも行ってみた。やはり帽子が多い。他に傘、Tシャツ、民芸調のカバン、セパタクローの竹で編んだボール、古い紙幣や切手などがあっ ![]() ![]() この周辺は壁が赤レンガの色に塗られているが、この先のJl.Laksamanaに沿ってもこの色の建物がずっと続いている。中華街独特の、店の前を通り抜ける通路もレンガ色になっている。 この通りを歩いていたら、左側にカフェがあり、川の方に向かって明るい景色が見えた。 中に入ると、何とも眺めの良い場所に緑のパラソルが張られたテーブルが置かれていた。客は欧米人だけで多くない。壁に貼られたメニューを見て注文した。「チキンのカレーライスを、それとお茶」、と言ったら、氷の入ったグラスと缶のお茶を持ってきた。食べ終えて、今度は ![]() ![]() 値段も安いし、メニューも豊富、おまけに景色は抜群。休憩スポットとしては絶好の店を見つけた。 おじさんが注文を取って運んで来るが、調理は奥にいるおばさんがやっているようだ。 そこから歩いて、セント・フランシス・ザビエル教会を見て、インド人街へも入ってみた。香辛料や調味料の店がある。その隣の店には野菜が並んでいるが、生姜、にんにく、ジャガイモ、紫色の小さな玉ねぎ、やはりカレーの材料が多い。この通りには、行ってみたいインド料理の店があるのだが、今はもう食べられないので、明日もう一度来ようと思う。 ![]() ![]() 少し戻って橋を渡った。ここからの景色もなかなかのものだ。川の両岸には遊歩道が整備されていて、適当に緑や街灯も配置され、きれいな景観を醸し出している。 さっきのカフェの対岸の路を歩いてみた。お洒落なレストランやカフェが所々にある。遊歩道も店も小じんまりと、まとまっている。ぐるり歩いてもそう時間はかからないだろう。 ここも古い街並み、トゥン・タ ![]() ![]() リバーボート乗り場の対岸まで出て、しばらく景色を眺めていた。 再びハン・ジェバッ通りを歩いて宿へ向かったが、途中の店に立ち寄り、お菓子や飲み物を買った。ココナッツが入ってザラザラした食感のクッキーはなかなか美味しかった。 宿の近くのハン・ジェバッ通り(ジョンカー・ストリート)は週末、日没後に交通規制をして夜店が並ぶそうなのだが、残念な事に私の日程とはズレていた。 Topへ 前へ ◀ ▶ 次へ |
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