メ コ ン の 流 れ と と も に 19 |
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1.列車のチケットは全部売り切れていた 今日はホイアンへ行く予定にしている。 朝早くフロントに行ってパスポートを返してもらい、7時50分に宿を出た。急いでダナン駅へと向かう。辺りはバイクであふれていた。 ハムギー通りを駅へ向かって歩いて行く。池の傍にあるスタンドを通ると、イスで何人かが新聞を読んでいた。ベトナム人は本当に活字が好きだ。何かを読んでいる。 ![]() ![]() 窓口はそう混んでいなかった。3か所開いていて係員が応対していた。この3カ所はどう区別されているのか分からないが、取りあえず真ん中に並んだ。中国でも同じだが、切符は係員と相談しながら買う人が多く、一人当たりの時間がかかる。 私の番になって、列車番号とか行き先とか座席とかを書いたメモを渡した。係員はキーボードで入力し、売り切れていると言った。一旦そこを外れ、もう一度窓口へ行って、SoftSleeper or HardSleeper?と聞いてみたら、強い口調で「明日の分から3日間は売り切れていて何もない」と言った。日本以外のアジアの国は、殆どがこんな感じでの接客だ。職業に対する特権意識があるのだろうか。サービス業の基本などは誰もが教えていないようだ。 それにしても、まさか全部売り切れているとは思っていなかった。何とも困ったものだ。 どうしよう。駅を出て通りを歩きながら考えた。明日の切符がなければ、これからホイアンへ行っても晴々と観光気分になれない。 ![]() ![]() その大通りを歩いていると、店頭でおじさんが白い塊を捏ねていた。立ち止まって見ていると、今度はステンの棒に巻き付け、何やら麺を作っていた。店の看板に 『BANH CANH 』 と書かれている。何とも素朴な作り方だった。これは食べなくちゃ。奥のテーブルに座る。他にも数人の客がいた。メニューも無いのだろうが、一つと言ったらOKしてくれた。そして今度は作業がおばさんに変わった。手際良く鍋に放り込んでいく。 出された麺は、うどんのような太さ、食感も同じようで、違うのはスープの味だけだった。ちょっとピリ辛だ。ただ後で調べてみると、小麦粉ではなく米粉の麺のようだった。全くの手打ち麺、注文を受けてから捏ねて湯がく。美味しい素朴な麺だった。 2.シンカフェでオープンツアーバスのチケットを買う ハン川に沿ってバクダン通りがあり、そのすぐ傍には遊歩道がずっと続いている。ダナン有数の美しい風景だ。 そしてバクダン通りとチャンフー通りの間には、観光客も訪れる小さなハン市場がある。シン・カフェはその近くのハン川に面した通りにあった。間口の狭い小さな営業所だ。そこに男女二人が窓口業務をやっていた。客は誰もいなかった。手前にある女性の前に座り、ファンティエットまでのバスを見てもらった。しばらくPCで検索した後、プリントし詳しく説明してくれた。 ![]() ![]() よくは分からないが、取りあえずそのチケットでOKした。プリンターが動き3枚分のチケットが出てきた。 明日の15時45分までにここでチェックインをする事、出発は16時30分。ムイネーへは翌日13時30分頃の到着だ。とても手際良く予約をしてくれた。ダナンは観光客からは素通りされる町のようで、営業所も小さく、ツアー等の催行もないようだ。 それにしてもホイアンで乗り換えなんて近過ぎる。しかもスリーピング・バスだとか。でも北から巡るとやはりフエ、ホイアンは一旦区切りとなる重要な街なのだろう。 3.黄色の循環バスでホイアンへ 明日のチケットも手に入り一安心。ちょっと気分も爽やかになったところで、ホイアン行きのバス停をさがす。市内をぐるり回っているのだろうけど、ガイドブックに出ていたダナン大聖堂の前で乗る事にした。 近くの人に、黄バスのホイアン行きはここに停まるか聞いてみた。すると大丈夫だと言ってくれた。女性も一人このバスを待っているようで、絶えず左側を気にしていた。 し ![]() ![]() 市内をどんどん南へ走り、五行山の辺りにさしかかる頃になって、やっと座席が空き、座る事ができた。そこから先はずっと田園風景が続いている。 道路沿いにぽつぽつ家がある。ベトナムの家はどこも玄関が開けっ広げだ。窓も殆ど開いている。夜などはTVを見ている様子もしっかり見える。初めてだと何とも奇妙な光景に映る。戸締りしなくて恐くないのか、蚊などの虫は大丈夫なのかと心配してしまう。 これは一部にはベトナム戦争時の名残があるようだ。当時、共産ゲリラが隠れていないか明りをつけ、ドアを全部開けさせたそうだ。 この黄色の循環バスには観光客は少ない。地元民の生活の足として利用されている。僅かに五行山への客がいる位だ。ホイアンまではほぼ一直線に走る。辺りにはバナナや椰子の木が茂っていて、何とものどかな風景だ。 ![]() ![]() 出口は大混雑、一斉にバイクタクシーのおじさん達が寄って来て付きまとっているのだ。私は街歩きが目的だから、このようなものは使わない。それにガイドブックにはバスターミナルから市街地への詳しい地図が載っていたのだ。 広場の隅にあったトイレに行った。集金係はいなかった。 リートゥオンキエット通りを歩く。白人が多くなってきた。殆どが自転車だ。近くにバクダンホテルがあり家族連れも目立つ。ここを右折すると街らしくなってきた。ハイバーチュン通りから右へ入り込んだ通りを歩く事にした。ここはホテルやレストランが多く人通りは多い。再びハイバーチュン通りへ出て店を見ながら真っ直ぐ歩いて行くと、派手な提灯を吊り下げてある店があった。 ちょっと店内を覗いてみた。すぐ隣が総合チケット販売所だ。チケットを買うと、「5カ所までですよ」、と念を押された。地図の入った観光パンフレットを貰い街歩きに出発だ。 4.ホイアン、世界遺産の街を散策する チケット売り場のある狭い通りからチャンフー通りに出ると、辺りが一変、大勢の人が歩く観光通りになった。しかも白人だらけと言った感じだ。日本語もチラホラ聞こえてくる。 ![]() ![]() ホイアンは海外との貿易で栄えた町。当時はトゥボン川に沿って商家が軒を連ね海のシルクロードとしても大いに繁栄した。しかし川からの堆積物で徐々に港が浅くなると、大型船が出入りできなくなり、貿易都市としての役割を終える事になる。 船は一旦ダナン港に入って待機し、その後水路を通りホイアンへ貿易品が運ばれた。時代が変遷する中、すっかり忘れ去られてしまったこの町は、昔の面影を留め、結果的に世界遺産の町となる。 ![]() ![]() 歴史ある街並みは東西に、チャンフー通り、グエンタイホック通りとトゥボン川に沿ったバクダン通りがある。道の両側には古い伝統家屋が軒を連ねていて、今もその街並みと共に生きる人々の暮らしがある。古い家屋の一部は改装され、レストランやカフェ、洋品店、提灯の店、みやげ物店、そしてアートギャラリーなどに使われていたりする。 ホイアンには毎年雨季になると洪水が発生し、何度も通りが水浸しとなる。そして店舗の中まで浸水する事もあり、この時期には店内にある商品 ![]() ![]() 通りを歩いていると、ノンラーを被り天秤棒を担いだお母さんが、公安らしき男に捕まり、籠を1個取り上げられてしまった。かなり抵抗もしたり哀願したりしていたが、その度に警棒のようなもので何度も殴られた。そしてその公安は籠1個をバイクに乗って持ち去ってしまったのだ。勿論、中には生活を支える大切な果物が入っている。販売が許可されている地域外で商売していたのだろうか。どちらが正しいのかは分からないが、観光客の多いこんな通りでは如何にも無作法だ。そのおばさんは残された籠の傍で呆然と立ち尽くしていた。 私は一部始終を見ていたので、この事がとても気になった。 5.カオラウに舌鼓 街の東側には市場がある。野菜や果物を売るテントがずらりと並ぶ路上の市場だ。魚の方も広い。この辺りの汽水域では魚が豊富で水揚げも多いようだ。 私 ![]() ![]() 市場の中には麺を売る店が何軒もある。白い麺と少し黄色っぽい麺。カオラウは米粉を使った麺で、水とかん水が決め手のようだ。特に水はここの井戸水を使う事が必須となる。 黄色っぽい麺は何度も蒸しては捏ねた麺で、如何にもうまそうだ。竹のザルのような物に載せて売っている。大半は乾かないようにビニールを被せてあり凄い量だ。 そんな麺を売っている店の横には、小さなテーブルとプラスティックのイスが並んだ食堂がある。通路と中通路にもいっぱい店があり、歩いているとあちこちから声がかかる。どの店が良いのか迷ってしまう。イスを引いてテーブルを空けてくれた店に座った。 カ ![]() ![]() すぐ出てきた、と言うか、おばさんが前で作っているのをずっと見ていた。麺の上には豚肉と厚揚げを薄くスライスしたような物が載っていて、甘辛いタレが少しかかっている。下からしっかりかき混ぜて食べるようだ。 香草や野菜もちぎって少しだけ加えてみた。 あまりゆっくり味わえなかった。知らない内にすぐ食べ終えてしまったのだ。 しっかりコシのある麺にヌックマムと醤油のタレのようだった。 確かに美味しかった。カオラウを食べようと意気込んでいた割にはあっけなく完食した。 市場を散策した後、対岸の島へ架かるカムナム橋へ行ってみた。両側が少し高くなり、歩道になっている。ベトナムは未だ車が少ないから橋も幅が狭い所が多い。この橋もバイクや自転車には好都合な橋だ。 この橋の上からトゥボン川に沿った街並みを眺めた。ホイアンは元々貿易港であった訳だから、この川の景色と船がとてもよく似合う。 ![]() チャンフー通りを西へ歩き、福建會館、廣勝家、廣肇會館、そして来遠橋を渡り、馮 ![]() 街の雰囲気にもなっている黄色い壁の建物は、16世紀以降この地に移り住んだ中国人が、皇帝しか使えなかった黄色を壁に塗ったいきさつがある。 レロイ通りに戻り、カフェでしばらく休んだ。勿論ベトナムコーヒーを頼んだが、何故かあのドリッパーは出てこなかった。 チャンフンダオ通りまで出て、今度はシンカフェの前を通りバスターミナルまで歩いた。この頃になって、少し雲行きが怪しくなってきていた。再び黄色の循環バスに乗りダナンへ向かった。この循環バス、往きは2万ドンだったが戻る時は3万ドンだ。何とも外国人価格のようだし適当だ。五行山辺りを通る頃には、しっかり雨になってしまった。 6.ダナンでの買い物はビッグC ダナンに入り、この循環バスは複雑な動き方をした。レズアン通りを通ったので、私は見覚えのある場所ですぐ降りた。コン市場もビッグCも近くにある。でも若しかして、このバスは泊まっているホテルの近くも通ったかも知れない。 ![]() ![]() 食品売り場の入り口にあった、バインミーティットが美味しそうだった。 ビッグCの中に入り少し買い物をした後、このバインミーのカウンターにやってきた。美味しそうなのを指さして2個買おうとしたら、先に向こうのレジで支払いするよう言われた。そしてその女性はレジ係に注文した商品を言ってくれた。 このダナンのビッグCはさすがに大都会だけあってきれいな店だった。 ホテルまでは、小雨の降る夜の街を歩いて帰った。 Topへ 前へ ◀ ▶ 次へ |
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